日本の作家、村上春樹氏が新型コロナウイルス感染症(新型肺炎)による混乱を、戦争経験を引き合いに出すほどの「次世代に伝えるべき話」に挙げた。日本の戦争責任を記憶しなければならないように新型コロナ局面でも後代が忘れてはいけない教訓を得なければならないという意味だ。
村上氏は7日、読売新聞が発行している読売中高生新聞に「各世代にはそれぞれ伝えるべきことがあります」とし「僕の世代には、お父さんの戦争体験が大きかった」と語った。
高校生記者によるインタビューに応じた村上氏は「あなた方の世代にも、きっとこの新型コロナウイルスの混乱をはじめ何か出てくるでしょう」としながら、2019年5月に『猫を棄てる-父親について語るとき』という自伝的エッセーを執筆する時のことを回想した。
村上氏は「僕はお父さんとずっとけんかしていて、亡くなる前に少し仲直りできたけど、やっぱり戦争に行ったことは聞けませんでした」とし「あの時代から70年以上過ぎ、若い人は戦争のことをほとんど知らなくなった。僕としては、お話として戦争を伝えたかったんです」と語った。エッセーで、村上氏は父親が日中戦争時の1938年に徴兵されて中国に配置された事実を公開し、「どのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?」と書いた。
村上氏は今回のインタビューでも改めて日本の戦争責任を問うた。引き続き、日本社会に芽生えている極右主義的な歴史観も指摘した。村上氏は「僕らや父親の世代は、戦争に対して『悪』だという思いがある。でも今は、戦争自体はそれほど悪いことではなかったと考えたり、美化をしたりする人が出てきている」とし「それは危険なことだし、何とかしなければと考えています」と話した。
実際、メディアへの露出を控えてきた村上氏は、最近に入り躊躇(ちゅうちょ)することなく自分の意見を明らかにしている。今年7月には、毎日新聞とのインタビューで「(新型コロナのような)こういう一種の危機的状況にある場合には、例えば関東大震災の時の朝鮮人虐殺のように、人々が変な方向に動いていく可能性がある」とし「そういうのを落ち着かせていくというのはメディアの責任だと僕は思う」と述べていた。
今回のインタビューは村上氏が今年7月、短編小説集『一人称単数』を出版したことを契機に行われた。村上氏はインタビューで「小説は、読者が自分を映す『鏡』」としながら「読んだ人によって映るものは違う。だから書いた僕と読んだ君の意見が違っていても、間違いではありません」とする文学的持論を展開した。
村上氏は7日、読売新聞が発行している読売中高生新聞に「各世代にはそれぞれ伝えるべきことがあります」とし「僕の世代には、お父さんの戦争体験が大きかった」と語った。
高校生記者によるインタビューに応じた村上氏は「あなた方の世代にも、きっとこの新型コロナウイルスの混乱をはじめ何か出てくるでしょう」としながら、2019年5月に『猫を棄てる-父親について語るとき』という自伝的エッセーを執筆する時のことを回想した。
村上氏は「僕はお父さんとずっとけんかしていて、亡くなる前に少し仲直りできたけど、やっぱり戦争に行ったことは聞けませんでした」とし「あの時代から70年以上過ぎ、若い人は戦争のことをほとんど知らなくなった。僕としては、お話として戦争を伝えたかったんです」と語った。エッセーで、村上氏は父親が日中戦争時の1938年に徴兵されて中国に配置された事実を公開し、「どのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?」と書いた。
村上氏は今回のインタビューでも改めて日本の戦争責任を問うた。引き続き、日本社会に芽生えている極右主義的な歴史観も指摘した。村上氏は「僕らや父親の世代は、戦争に対して『悪』だという思いがある。でも今は、戦争自体はそれほど悪いことではなかったと考えたり、美化をしたりする人が出てきている」とし「それは危険なことだし、何とかしなければと考えています」と話した。
実際、メディアへの露出を控えてきた村上氏は、最近に入り躊躇(ちゅうちょ)することなく自分の意見を明らかにしている。今年7月には、毎日新聞とのインタビューで「(新型コロナのような)こういう一種の危機的状況にある場合には、例えば関東大震災の時の朝鮮人虐殺のように、人々が変な方向に動いていく可能性がある」とし「そういうのを落ち着かせていくというのはメディアの責任だと僕は思う」と述べていた。
今回のインタビューは村上氏が今年7月、短編小説集『一人称単数』を出版したことを契機に行われた。村上氏はインタビューで「小説は、読者が自分を映す『鏡』」としながら「読んだ人によって映るものは違う。だから書いた僕と読んだ君の意見が違っていても、間違いではありません」とする文学的持論を展開した。
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