Nintendo Switchが3月20日に発売したゲーム「あつまれ どうぶつの森」の場面。[写真 任天堂コリア]
これについてネットユーザーは人々の選択的不買運動、御都合主義を批判している。「選択的不買運動こそどうにかしよう。任天堂のどうぶつの森は並んで買っている。オンライン書店でも上位圏の検索語にランクインするくらいなら」「服はノージャパン、任天堂はイエスジャパン」「そこまで日本不買を叫びながら必要なものは日本産を使い、自分は買わない日本製品を私が使うとつべこべいう」「代替品があってこそ不買をするということ自体がなぜ不買をするのかに対する認識が足りないということだ。本人の欲求充足のための論理で表面を飾っている。代替品のない製品がなかったときも生きていけていたじゃないか」…。
しかし、一部では日本製品に対する不買運動は他の消費者の自由を制限する行為だと批判している。
「他人の自由を制限するのは全体主義の暴徒でなければ何だ」「ABCマート、それでも残念なときは流用したが、繰り返し追い出し、消費者の選択権を制限するのはどうかと思う。これも一種の間接人民裁判。私が使わないでほしいという物を使うお前は売国奴だと指差すことは」「庶民が買うユニクロやABCマートは放っておいて。コストパフォーマンスによって必要な人は買えるように。戦犯企業でもないユニクロ程度に命を賭けるのはやめようということだ」
一方では、「ノージャパン」で韓国人のほうが大きな損害を受けているとし、不買運動の余波を懸念している。「それでも従業員は韓国の人々ではないか。彼らの飯の種のことも考えて、強要ではなく自発的な行動が必要ではないだろうかと思う。政治は外交だけで解決してほしい。日本国内にも韓国企業がたくさんあるのに」「ユニクロのスタッフだけがアルバイトをしてわけも分からず解雇された」「日本製品の不買すると言いながら、反日感情扇動屋のせいで、かえって日本企業韓国支社および総販売企業の職員が被害受ける状況」「ユニクロの店舗が閉まることがなんの大きな好材料だというのか。そこで働いていた従業員は失業者になったのに。ユニクロが撤退すれば他の韓国企業に失業者が雇用されるべきだが、それに対して何かしたというのか。人の悪口を言っているつもりで、実は私の子どもがひもじい思いをしながら死ぬのは見えないのか」。
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