文在寅(ムン・ジェイン)大統領
人生70歳を古稀という。杜甫の「曲江」の最初の句「人生七十古来稀(70歳まで生きる者は昔から珍しい)」に由来する。南北が70年近く戦争をしていないのはまれなことであるのは明らかだ。しかしこれは戦争の不在を意味する「消極的平和」に近い。いわゆる平和体制が定着し活発な交流と協力が行われる「積極的平和」とは距離がある。韓国戦争勃発70周年に果たして積極的平和は可能なのか、どのような努力が必要なのかに関する真摯な悩みが必要だ。
◇経済でリードしても体制競争は終わらない
北朝鮮は韓国戦争が韓半島全体の共産化という目標を達成できなかったため1953年の休戦からこれまで多くの局地挑発を敢行した。このような中で韓国が消極的平和でも維持できたのはまさに1953年10月に米国と結んだ韓米相互防衛条約、すなわち韓米同盟による対北朝鮮抑制のおかげだった。韓国は超強大国である米国の力を借りて安全保障負担を減らし経済発展にまい進し、その結果自ら強兵ができた。問題は北朝鮮の核開発だった。
1968年11月、科学院咸興(ハムフン)分院を訪問した金日成(キム・イルソン)は開発チームに「何より急がなければならないのは米国本土を攻撃できる手段を持つことだ。同志たちは1日も早く核兵器と長距離ミサイルを自力で生産できるよう積極的に開発しなければならない」と呼び掛けた。韓国戦争が米国の介入で失敗したことから、今後の赤化統一に備え米国の韓半島介入を阻止できる手段を持たなければならないという意味だった。
北朝鮮の核兵器開発は金日成が1963年にソ連からIRT-2000研究用原子炉を導入し1967年に稼動を始めた瞬間から始まったといえる。1976年にエジプトからスカッドミサイルを導入したのは本格的なミサイル開発の信号弾だった。その後これまで北朝鮮は核・ミサイル開発を止めていない。
【コラム】北朝鮮の非核化なくして韓半島の平和はないという大原則確固としなくては(2)
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