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越北20代、1カ月前にYouTubeで「開城工業団地閉鎖で生活苦しくなり脱北」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

19日、脱北から3年で北朝鮮に戻ったと推定されるキム氏(24)。[写真 フェイスブック キャプチャー]

北朝鮮が26日、開城に越北したと明らかにした脱北者と推定されるキム氏(24)はおよそ1カ月前の6月にはYouTube(ユーチューブ)に出演して自身の脱北経緯を詳細に説明していた。

キム氏は知人である脱北民キム・ジナ氏のYouTubeチャンネル『開城アナック』(アナックは婦女子が居住する空間を上品に言う言葉)に何度も出演し、2017年6月に脱北することになった経緯などを詳細に語っていた。

先月23日に登録された映像で、キム氏は脱北の契機に関連して「開城工業団地がうまくいかなくなって(閉鎖されることになり)生活が苦しく韓国を選ぶことになった」と話した。


キム氏は「(北朝鮮で)商売をしていたが、開城工業団地(閉鎖以降)うまくいかず、金を掘ったり薬草を掘ったりしてみたがどれもうまくいかなかった」としながら「(子供のころから)両耳がよく聞こえなかったことも影響を及ぼし、辛くて希望が見えなかった」と当時の状況を振り返った。

続いて「そんな中、白馬山(ペンマサン、開城市ヘピョン里)に登り、3日間自暴自棄になった気持ちで(過ごし)、最後に金浦(キンポ)のほうを見た。初めて見るわけではないが、宵の口に明かりが輝いていることがとても気になった」とし「死ぬ前に一度行ってみようという気持ちで(脱北を)決心した」と説明した。

あわせて「開城工業団地閉鎖で開城のすべてのことがうまくいかなかった。工業団地に勤務して私たちを助けてくれたおばさんの家も状況が非常に悪くなって田舎に帰った」と語った。

また、キム氏は「(韓国で耳の治療をしてもらえて)とても感謝している」とし「故郷の母や兄弟に教えてあげたいという悲しみで病院で涙が出た」と治療当時の感想を明らかにしたりもした。

キム氏は3日後である26日に登録された映像では自身の脱北当時の状況について紹介した。キム氏が北朝鮮の主張どおり北朝鮮に戻ったとすれば脱北経路を逆にたどった可能性がある。実際、キム・ジナ氏によると、キム氏は17日に知人と一緒に喬桐大橋周辺に立ち寄ったと伝えられた。

キム氏はYouTubeで、脱北当時の状況に対して「2017年6月(白馬山から下って)38度線を移ろうと決心し、高圧線と鉄条網の下をくぐり、二回にわたって越えた」とし「地雷畑が出てきた時は、木の枝を折って一歩一歩刺しながら進んだ」と説明した。

続いて「昼間は葦畑に隠れて3時間程度を這って進んだ」とし「葦畑の汚物の中から発泡スチロールと綱を見つけ、救命帯を作らなければならないと考えた」と話した。

キム氏は「発泡スチロールで救命帯を作って準備しておいて夜になるのを待った。目で見た時は1時間ほどかかると思った」とし「しばらく泳いでみたところ工場(と見られる)大きな明かりが見えて3時間ほど泳いだが、(韓国)軍人が発見できず、死ぬかもしれないと諦めかけていた」と紹介した。

「それでもしばらく進んでみたところ(無人島の)留島(ユド)が見えた。ここを過ぎれば軍事分界線が近いと思い『助けて』と大声を出し始めた」と説明した。続いてキム氏は「韓国側がその声を聞いたのか、明かりを照らして車両が行き来するのが見えた」とし「それを見てなんとかして出てみようと考え、結局、合計7時間を持ちこたえた末に陸に上がると、すぐに軍事分界線の扉が開いて軍人と警察8人程度が出てきた」と当時の状況を描写した。

キム氏は「そのとき海から上がるなり倒れた」とし「ランニングシャツだけを着て震えていると、(韓国軍人が)布団をかけてくれて、車に乗せてどこかに連れていった」と明らかにした。



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