遺体のまま見つかった韓国の朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長は、名門大除籍生、人権弁護士、市民運動家などの軌跡を経て初の3連任ソウル市長となった。政界に入ってからは進歩指向の大統領候補として名前が挙げられてきた。
朴氏は1956年、慶尚南道昌寧(キョンサンナムド・チャンニョン)に生まれ、ソウル京畿(キョンギ)高を卒業してソウル大学社会系列に入学したが、維新政権の緊急措置命令9号を違反して除籍となった。その後、檀国(タングク)大学史学科を卒業して第22回司法試験に合格した。大邱(テグ)地検検事で1年ほど働き、弁護士事務室を開いた。
社会運動に飛び込み、参与連帯の事務局長や総選挙市民連帯常任共同執行委員長を歴任し、腐敗政治家落選運動を展開した。2000年にはアルムダウン財団・アルムダウン店などの市民団体を設立して市民運動家としても広く名前が知られるようになった。
呉世勲(オ・セフン)元ソウル市長が無償給食問題で辞任すると、ソウル市長補欠選挙に出馬して羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)当時ハンナラ党候補をおさえ当選した。当時、認知度が高かった安哲秀(アン・チョルス)ソウル大学教授の支持と譲歩で力を得た。2選では鄭夢準(チョン・モンジュン)当時セヌリ党候補、3選では金文洙(キム・ムンス)当時自由韓国党候補をそれぞれおさえて3連任に成功して9年間ソウル市長として市政に従事してきた。2018年には地域均衡発展を試みるため、庶民の生活を知るということで江北区三陽洞(カンブクグ・サミャンドン)で1カ月の屋根部屋生活をしたこともある。
2017年1月、フェイスブックに大統領選挙出馬に意欲を綴ったが、支持率の低さなどの理由で約20日後に撤回した。2018年与党の有力大統領選挙候補として、選好度調査で李洛淵(イ・ナギョン)当時首相、李在明(イ・ジェミョン)京畿道(キョンギド)知事を抜いて1位に入ったこともあるが、汝矣島(ヨイド)・龍山(ヨンサン)広域開発、ソウル交通公社の採用不正問題などで支持率が落ちた後、しばらく停滞が続いていた。
だが、最近朴氏は2022年大統領選挙を視野に入れた活動に力を入れていた。ソウル市の内部的にも大統領選挙挑戦のための「勇退時点」をシナリオ別に分析する文書を作成するほど、朴氏の大統領選挙への挑戦は既成事実化されていた状態だった。6日、民選7期就任2周年記者懇談会では「大統領選挙は自分がしたからといってできるものでもなく、時にはなりたくなくてもすることになる運命的な職責だと考える。次は大統領選挙の話をする機会があるだろう」としながら、大統領選挙に対する熱望を迂回的に表現したりもした。
ソウル鍾路区嘉会洞(チョンノグ・カフェドン)にある市場公館には、最近までほぼ毎日、来客があったという話もある。嘉会洞のある住民は「夕方になるたびに公館に来客があった。10人以上が一斉にやってきて、午前0時を越えて握手をしながら別れる場合も多かった」とし「いつも公館周辺がにぎやかな雰囲気だったが、突然このようなことが起きるとは思ってもみなかった」と話した。
朴氏には薫風も吹いていた。今回の4月総選挙で、朴氏と縁が深い多くの共に民主党候補が金バッチを付けることに成功した。民主党内のいわゆる「朴元淳系統」と呼ばれる現役議員は17人に達する。代表的な人物が尹準炳(ユン・ジュンビョン)元ソウル市行政副市長や奇東旻(キ・ドンミン)・金元二(キム・ウォニ)元ソウル市政務副市長らだ。朴氏は彼らの当選直後、定例会を開き、大統領選挙挑戦のための助言を傾聴したこともある。「大きな仕事をしたくても汝矣島に基盤がない」と言って、私席で物足りなさを吐露してきた朴氏にとっては「友軍」を得たも同然だった。
朴氏は1日付のソウル市定期人事で、政務ラインと副市長団の総入れ替えに踏み切った。大統領選挙に向けた礎石とも目されていた。文美蘭(ムン・ミラン)政務副市長の後任には金宇榮(キム・ウヨン)元恩平(ウンピョン)区庁長を充てた。金宇榮氏は青瓦台(チョンワデ、大統領府)制度改革秘書官や自治発展秘書官を歴任した人物で、選挙戦略に通じていて実行力があるという評価を受けている。
朴氏は1956年、慶尚南道昌寧(キョンサンナムド・チャンニョン)に生まれ、ソウル京畿(キョンギ)高を卒業してソウル大学社会系列に入学したが、維新政権の緊急措置命令9号を違反して除籍となった。その後、檀国(タングク)大学史学科を卒業して第22回司法試験に合格した。大邱(テグ)地検検事で1年ほど働き、弁護士事務室を開いた。
社会運動に飛び込み、参与連帯の事務局長や総選挙市民連帯常任共同執行委員長を歴任し、腐敗政治家落選運動を展開した。2000年にはアルムダウン財団・アルムダウン店などの市民団体を設立して市民運動家としても広く名前が知られるようになった。
呉世勲(オ・セフン)元ソウル市長が無償給食問題で辞任すると、ソウル市長補欠選挙に出馬して羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)当時ハンナラ党候補をおさえ当選した。当時、認知度が高かった安哲秀(アン・チョルス)ソウル大学教授の支持と譲歩で力を得た。2選では鄭夢準(チョン・モンジュン)当時セヌリ党候補、3選では金文洙(キム・ムンス)当時自由韓国党候補をそれぞれおさえて3連任に成功して9年間ソウル市長として市政に従事してきた。2018年には地域均衡発展を試みるため、庶民の生活を知るということで江北区三陽洞(カンブクグ・サミャンドン)で1カ月の屋根部屋生活をしたこともある。
2017年1月、フェイスブックに大統領選挙出馬に意欲を綴ったが、支持率の低さなどの理由で約20日後に撤回した。2018年与党の有力大統領選挙候補として、選好度調査で李洛淵(イ・ナギョン)当時首相、李在明(イ・ジェミョン)京畿道(キョンギド)知事を抜いて1位に入ったこともあるが、汝矣島(ヨイド)・龍山(ヨンサン)広域開発、ソウル交通公社の採用不正問題などで支持率が落ちた後、しばらく停滞が続いていた。
だが、最近朴氏は2022年大統領選挙を視野に入れた活動に力を入れていた。ソウル市の内部的にも大統領選挙挑戦のための「勇退時点」をシナリオ別に分析する文書を作成するほど、朴氏の大統領選挙への挑戦は既成事実化されていた状態だった。6日、民選7期就任2周年記者懇談会では「大統領選挙は自分がしたからといってできるものでもなく、時にはなりたくなくてもすることになる運命的な職責だと考える。次は大統領選挙の話をする機会があるだろう」としながら、大統領選挙に対する熱望を迂回的に表現したりもした。
ソウル鍾路区嘉会洞(チョンノグ・カフェドン)にある市場公館には、最近までほぼ毎日、来客があったという話もある。嘉会洞のある住民は「夕方になるたびに公館に来客があった。10人以上が一斉にやってきて、午前0時を越えて握手をしながら別れる場合も多かった」とし「いつも公館周辺がにぎやかな雰囲気だったが、突然このようなことが起きるとは思ってもみなかった」と話した。
朴氏には薫風も吹いていた。今回の4月総選挙で、朴氏と縁が深い多くの共に民主党候補が金バッチを付けることに成功した。民主党内のいわゆる「朴元淳系統」と呼ばれる現役議員は17人に達する。代表的な人物が尹準炳(ユン・ジュンビョン)元ソウル市行政副市長や奇東旻(キ・ドンミン)・金元二(キム・ウォニ)元ソウル市政務副市長らだ。朴氏は彼らの当選直後、定例会を開き、大統領選挙挑戦のための助言を傾聴したこともある。「大きな仕事をしたくても汝矣島に基盤がない」と言って、私席で物足りなさを吐露してきた朴氏にとっては「友軍」を得たも同然だった。
朴氏は1日付のソウル市定期人事で、政務ラインと副市長団の総入れ替えに踏み切った。大統領選挙に向けた礎石とも目されていた。文美蘭(ムン・ミラン)政務副市長の後任には金宇榮(キム・ウヨン)元恩平(ウンピョン)区庁長を充てた。金宇榮氏は青瓦台(チョンワデ、大統領府)制度改革秘書官や自治発展秘書官を歴任した人物で、選挙戦略に通じていて実行力があるという評価を受けている。
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