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韓日葛藤の根源「サンフランシスコ体制」何が問題だったのか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

東北アジア平和センターのキム・ヨンホ理事長(左)と和田春樹・東京大学名誉教授[中央フォト]

長い間韓日葛藤の根源になってきたサンフランシスコ体制問題を掘り下げる国際学術会議が開かれる。東北アジア平和センターが8日から2日間、ソウル・コリアナホテルで開かれる「サンフランシスコ体制を越えて:第4回学術会議」だ。

サンフランシスコ講和条約は第2次世界大戦を終焉させるために日本と連合国48カ国が結んだ講和条約だ。1951年9月8日、米サンフランシスコで調印されて翌年4月28日に発効された条約にしたがって国際法上日本の韓半島(朝鮮半島)支配も完全に終わりを告げた。

だが、連合国と日本の間の条約締結は戦後補償問題など懸案を蔑ろにした結果を生んだ。韓国は日本帝国が行った4回にわたる戦争(1894年日清戦争、1904年日露戦争、1937年日中戦争、1941年太平洋戦争)の最も大きな被害国であるにもかかわらず、1910年日本に「併合」されてその領土になったという理由で会議に招待すらされなかった。強制併合の結果によってもたらされた地位が参加排除の理由になった。侵略行為を懲らしめる講和会議が侵略行為を正当視する格好になったわけだ。


サンフランシスコ講和条約は当時、北東アジアに脅威となってきた共産勢力の阻止のために日本を条約を締結できる国にするのが目的だった。すなわち、後続の「日米安保条約」の締結のための手順だったというのが学界の見方だ。慰安婦問題、徴用者問題、独島(ドクト、日本名・竹島)問題などもサンフランシスコ体制の産物だ。韓日間「1965年体制」および韓日米と中露朝の対立構図もこの枠組みの中で生み出された。したがって、国際学界ではポスト・サンフランシスコ体制のためにサンフランシスコ体制の肯定的・否定的側面を批判的に検討する必要があるという声が高まった。

今回の学術会議はまさにこのような問題意識から出発したっもので、2016年米コロンビア大学で初めて開かれて以来、毎年韓国・日本・米国・中国・ロシア・カナダ・オーストラリアなどの専門家および学者が参加してきた。和田春樹・東京大学名誉教授、コネチカット大学のアレクシス・ダデン教授、中国武漢大学のフ・ドグン教授、イ・テジン・ソウル大学名誉教授、東北アジア平和センターのキム・ヨンホ理事長などが発表・討論者として参加する。東北アジア歴史財団・トダム文化財団・ERA財団が後援する。



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