これまで他人事だとしか感じていなかった検察捜査に「次は自分の番だ」という覚醒が起こったためだろうか。これまでこれほど検察改革の叫び声が大きかった時はなかった。誰も予想できなかったチョ・グク事態のバタフライ効果だ。
昨日、法務部法務・検察改革委員会が4大改革基調と第1次迅速課題を選定した。検察の「セルフ監察」廃止も勧告した。チョ・グク長官の改革案がいち早く輪郭を表わしているのは捜査日程と無関係ではない。検察がチョ長官夫人のチョン・ギョンシム教授に対して拘束令状を請求すれば発給の有無によって多くことが変わってくる。令状が発給された場合、チョ長官の召喚と起訴が表面化する。棄却される場合、捜査動力が弱まって検察改革の声は高まる。2人とも不拘束起訴される可能性も排除することはできない。
どのようなシナリオでも「大統領の時間」は間違いなくやってくる。文在寅(ムン・ジェイン)大統領はチョ長官の去就を再検討することになるだろう。同時に検察改革の前面に出る可能性が大きい。問題は現在進行中である改革には限界が見えるという事実だ。
尹錫ヨル(ユン・ソクヨル)検察総長が出した「特捜部の大幅縮小」「公開召喚の廃止」「深夜調査の廃止」は外部からの改革に対する対応カードという性格が強い。70カ所余りの家宅捜索、11時間にわたる家宅捜索が「苛察(苛酷な検察)」という瑞草洞(ソチョドン)のろうそくを呼んだことに対してはっきりした立場から明らかにしなければならない。チョ・グク改革案の核心は検察の権限を法務部に移すことだ。「改革の呼び水」かもしれないが、政権が変わればいつでもシステムが復元されかねない。
結局、検察権力のシステムを変えるには国会で立法しなければならない。ファストトラック(迅速処理案件)に上がった検察改革法案が国会本会議を通過するには現在の在籍議員(297人)のうち過半数(149人)の賛成が必要だ。与党である共に民主党(128議席)に正義党(6議席)が加勢しても15議席足りない。検察改革のためにも統合の政治をしなくてはならない。
トランプ時代、米国民主主義の危機を扱った訳書『いかにして民主主義は崩れるのか』(原題『How Democracies Die』)は相互寛容と制度的自制の重要性を強調する。相互寛容というのは「彼らも国を心配して憲法を尊重すると仮定すること」であり、制度的自制は「合法的な枠の中にあっても最大限制度的特権を活用しないこと」だ。
韓国政治に「政治」がないのは2つの規範を冷遇してきたためだ。文大統領からこの規範をしっかり守っているかどうか、国政全般を振り返らなくてはならない。「国会は法案を早く処理してくれるようお願いしたい」(7日、首席・補佐官会議発言)に留まってはいけない。対話と説得に積極的に出なければならない。重要なことは支持勢力を説得できてこそ相手側も説得できるという点だ。民主党は政治検察を批判しながら、ともすれば告発状を持って検察庁に走って行くという二重的態度をやめなければならない。
自由韓国党の態度も変わるべきだ。いつまで政治検事たちの宿主役をするつもりか。合理的保守なら、牽制(けんせい)と均衡の原理によって権力機関改革に忠実でなければならない。もう一歩踏み出して捜査権・起訴権の分離を要求せよ。過去3年、国政壟断捜査や司法壟断捜査の問題点を批判してきたメディアもその批判に真意があるならば検察改革に背を向けてはいけない。それが正常メディアの正しい道だ。
2つの広場は熱くなるのに中間地帯は冷めている。ますます感情が熱くなっていくカカオトークのグループチャットがある一方で、休眠に入るグループチャットもある。反感と冷笑では石ころひとつ動かすことはできない。「チョ・グクOUT」にしても「チョ・グク守護」にしても「チョ・グク無関心」にしても、検察改革という大義そのものにはほぼ同意するものと信じる。散り散りに乱れた心を一つにする時だ。
「みんな私たちに申し訳ないとは思うだろうか」。映画『ハチドリ』で中2の少女が自分を困らせる人々を思い出しながら自問する。映画を見ながら、なぜかその言葉は若者世代が既成世代である私たちに対して投げかけているもののように思った。それでも自分にもう少し正直になるなら、まだ可能なことではないかと、私は悲観しながら楽観する。
クォン・ソクチョン/論説委員
昨日、法務部法務・検察改革委員会が4大改革基調と第1次迅速課題を選定した。検察の「セルフ監察」廃止も勧告した。チョ・グク長官の改革案がいち早く輪郭を表わしているのは捜査日程と無関係ではない。検察がチョ長官夫人のチョン・ギョンシム教授に対して拘束令状を請求すれば発給の有無によって多くことが変わってくる。令状が発給された場合、チョ長官の召喚と起訴が表面化する。棄却される場合、捜査動力が弱まって検察改革の声は高まる。2人とも不拘束起訴される可能性も排除することはできない。
どのようなシナリオでも「大統領の時間」は間違いなくやってくる。文在寅(ムン・ジェイン)大統領はチョ長官の去就を再検討することになるだろう。同時に検察改革の前面に出る可能性が大きい。問題は現在進行中である改革には限界が見えるという事実だ。
尹錫ヨル(ユン・ソクヨル)検察総長が出した「特捜部の大幅縮小」「公開召喚の廃止」「深夜調査の廃止」は外部からの改革に対する対応カードという性格が強い。70カ所余りの家宅捜索、11時間にわたる家宅捜索が「苛察(苛酷な検察)」という瑞草洞(ソチョドン)のろうそくを呼んだことに対してはっきりした立場から明らかにしなければならない。チョ・グク改革案の核心は検察の権限を法務部に移すことだ。「改革の呼び水」かもしれないが、政権が変わればいつでもシステムが復元されかねない。
結局、検察権力のシステムを変えるには国会で立法しなければならない。ファストトラック(迅速処理案件)に上がった検察改革法案が国会本会議を通過するには現在の在籍議員(297人)のうち過半数(149人)の賛成が必要だ。与党である共に民主党(128議席)に正義党(6議席)が加勢しても15議席足りない。検察改革のためにも統合の政治をしなくてはならない。
トランプ時代、米国民主主義の危機を扱った訳書『いかにして民主主義は崩れるのか』(原題『How Democracies Die』)は相互寛容と制度的自制の重要性を強調する。相互寛容というのは「彼らも国を心配して憲法を尊重すると仮定すること」であり、制度的自制は「合法的な枠の中にあっても最大限制度的特権を活用しないこと」だ。
韓国政治に「政治」がないのは2つの規範を冷遇してきたためだ。文大統領からこの規範をしっかり守っているかどうか、国政全般を振り返らなくてはならない。「国会は法案を早く処理してくれるようお願いしたい」(7日、首席・補佐官会議発言)に留まってはいけない。対話と説得に積極的に出なければならない。重要なことは支持勢力を説得できてこそ相手側も説得できるという点だ。民主党は政治検察を批判しながら、ともすれば告発状を持って検察庁に走って行くという二重的態度をやめなければならない。
自由韓国党の態度も変わるべきだ。いつまで政治検事たちの宿主役をするつもりか。合理的保守なら、牽制(けんせい)と均衡の原理によって権力機関改革に忠実でなければならない。もう一歩踏み出して捜査権・起訴権の分離を要求せよ。過去3年、国政壟断捜査や司法壟断捜査の問題点を批判してきたメディアもその批判に真意があるならば検察改革に背を向けてはいけない。それが正常メディアの正しい道だ。
2つの広場は熱くなるのに中間地帯は冷めている。ますます感情が熱くなっていくカカオトークのグループチャットがある一方で、休眠に入るグループチャットもある。反感と冷笑では石ころひとつ動かすことはできない。「チョ・グクOUT」にしても「チョ・グク守護」にしても「チョ・グク無関心」にしても、検察改革という大義そのものにはほぼ同意するものと信じる。散り散りに乱れた心を一つにする時だ。
「みんな私たちに申し訳ないとは思うだろうか」。映画『ハチドリ』で中2の少女が自分を困らせる人々を思い出しながら自問する。映画を見ながら、なぜかその言葉は若者世代が既成世代である私たちに対して投げかけているもののように思った。それでも自分にもう少し正直になるなら、まだ可能なことではないかと、私は悲観しながら楽観する。
クォン・ソクチョン/論説委員
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