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「日本、国際協約破り戦闘機生産に朝鮮人児童を強制動員」(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

14歳未満の児童も強制動員の対象になった。彼らはサトウキビ農場、飛行場、軍需工場などで働いた。日帝侵略の象徴であるゼロ戦の製造工場に動員された学徒労働隊の朝鮮人少女の姿。飛行機部品を削って組み立てる仕事をした。[写真 チョン・ヘギョン]

Q:日本人も朝鮮人と似た位置で同等な条件で働いた事例を出して差別や人権蹂躪を否定する主張もある。

A:「炭鉱坑内で日本人と朝鮮人が一緒に働いた記録があると同等に見るのは間違っている。日本人は鉱脈を探したり、ダイナマイトを爆発させる指示をするなど、朝鮮人とは細部職種が違った。土や石を掘り起こすなど朝鮮人は日本人よりはるかに厳しい職種でつらい労働をした。だが規定より朝鮮人には少ない賃金を支給するなど差別した。関連した実証的研究がすでに日本国内で1990年代に論文でも出てきたことがある。対外的には植民地朝鮮人は同じ日本人といったが、出身地に基づく戸籍法で朝鮮人には差別が加えられ、同等な権利も与えられなかった」

Q:強制動員被害者に多数会って直接証言を聞いたというが。


A:「強制動員調査委員会活動を前後して私が会った被害者は3000人ほどだ。最も残念なのは被害者自身が北海道で働いたのか南洋群島で労役したのか区別もできず、自身がどんな目に遭ったかをうまく表現できない人たちだった。自身が被害者だという認識自体がない人が多かった」

Q:委員会活動当時に寄せられた強制動員被害事例はどれだけになったか。

A:「被害申告だけで21万件だった。過去の盧泰愚(ノ・テウ)政権当時に日本政府から渡された強制動員名簿に記載された48万人(マイクロフィルム)など以前の政権時代に収集された資料まで使って2015年に委員会活動が終了するころに整理した被害者は180万人(一部重複被害者含む)程度だった」

Q:強制動員現場はどれほど多かったのか。

A:「海外を除いても南北合わせて8000カ所を超える。たとえば富平(プピョン)には代表的戦犯企業三菱の社宅があり韓半島最大規模の兵器廠である造兵廠も残っている。強制動員された労働者の人権蹂躪が強行されたところだ。自治体別にこうした現場を調査・保存しながらユネスコ登録の努力を着実にしなければならない。日本は自国内でこうした現場に対する全数調査をすでにすべてしたという。われわれは被害者なのに強制動員現場に対する研究や、調査、保存などの努力があまりない」

◇韓半島内の人権蹂躪現場も8000カ所超える

Q:当時委員会が調査した内容は現在どのように管理されているか。

A:「国家記録院、釜山(プサン)強制動員歴史館、行政自治部傘下過去史業務支援団などに資料が分散した。われわれが収集して分析した資料を使ってウェブコンテンツも作ったが現在は活用されていない。11年間の努力が水の泡になったような感じで、日本に免罪符を与えるのも同然となり残念だ」

Q:ウェブコンテンツはどんな内容なのか。

A:「たとえば強制動員され死亡した人たちの遺骨がどこに埋葬されているのか一般人が簡単に探してみられるようにした。また、団体写真の場合、顔のひとつひとつをすべて拡大して家族が見つけられるようにした。民間でこうしたコンテンツを多様な方面に活用できると良いだろう」

Q:一部では強制動員問題は南北がともに協力すべきという主張もある。

A:「180万人の被害者のうち30%は北朝鮮地域出身と確認された。こうした情報を北側と共有する必要がある。また、現在韓国国内に保管中の北朝鮮出身強制動員犠牲者の遺骨23柱の返還も推進しなければならない。北朝鮮地域3400カ所の動員現場に対する追悼巡礼など南北が一緒にできる事業は多い」

Q:強制動員被害者賠償問題で韓日対立が深い。韓国政府はどうすべきか.

A:「まず国家記録院などにある関連資料を公開し学界など民間が活用できるようにしなければならない。また、徴用者名簿を検証する作業が中断されたが再開しなければならない。日本企業と政府が作ったこのような名簿は強制動員の被害を最も克明に見ることができる資料だ。被害者が直接残した記録や絵など生きた資料を通じわれわれ自ら『被害者性』を回復する努力が必要だ。強制動員被害真相究明をしっかりしてこそ道徳的優位を基に日本と交渉ができないだろうか」。



「日本、国際協約破り戦闘機生産に朝鮮人児童を強制動員」(1)

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