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「日本、国際協約破り戦闘機生産に朝鮮人児童を強制動員」(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

チョン・ヘギョン博士は11年間国務総理室傘下の強制動員調査委員会で調査課長を務めながら被害者3000人に会い証言を聞いた。チョン博士は調査が再開されなければならないと話した。パク・ジョングン記者

日帝強占期の強制動員に対する戦犯企業の賠償責任をめぐり日本の経済報復などで韓日対立が激化している。こうした中、韓国国内で強制動員研究の専門家と指折り数えられるチョン・ヘギョン博士(日帝強制動員&平和研究会)がこのほど出版した著書『アジア太平洋戦争に動員された朝鮮の子どもたち』で児童の強制動員実態を告発した。チョン博士は盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の2004年に日帝強制動員の真相究明に向け政府機関として発足した国務総理所属対日抗争期強制動員被害調査と国外強制動員犠牲者など支援委員会(強制動員調査委)で2015年末まで調査課長を務めた。11年間にチョン博士は3000人以上の生存被害者と会い、生々しい証言を聞いた。強制動員に関連した内外各種文書資料を収集する過程でこれまで関心の外に置かれていた児童の実態に注目した。彼らは紡績、軍需、建設など内外のさまざまな工場と現場に動員され劣悪な環境で働かなければならなかった。チョン博士は「強制動員された児童の事例のうち一部だけ見つけ出したもの。全体の規模が全部どれだけになるかは計り難い」とした。20日に中央SUNDAYとのインタビューで「実証研究資料があるのに日本政府の居直るような態度も最も大きい問題だが、徹底した被害真相究明を続けられず疎かにした韓国政府の責任も少なくない」と話した。

◇強制動員被害者180万人、30%は北朝鮮出身

Q:日帝が子どもたちまで戦争遂行のため強制動員したという事実を実証的に明らかにした。


A:「委員会で収集し分析した資料を基に日本で被害者の年齢別に発表したことがあった。日本の学者も驚いていた。当時日本本土の工場法に基づき14歳未満の子どもは動員できないようにした。だが実際には朝鮮人の子どもたちが強制動員された。個人的に把握した事例だけで500人ほどだ。実際にははるかに多くの児童が強制動員されたと推定する」

Q:日本が当時国際法に違反していたとの主張もしたが。

A:「日本はすでに1932年に国際労働機関(ILO)第29号協約(強制労働に関する協約)を批准した。18歳未満は強制労働をできないようにした。だが戦時総動員令を掲げて自分たちが批准した国際協約を無視し違反した。児童強制動員こそ日帝の不法行動を赤裸々に見せる事例だ」

Q:子どもたちは主にどこで働いたか。

A:「満州や南洋群島に行った子どもの中には5~6歳にしかならない子どもたちもいた。家族と一緒に行ったが学校も通えずに動員され、飛行場の滑走路を作る現場で働いたケースがあった。また、米国立議会図書館の資料によると南洋群島のサトウキビ農場で大人と同じように1日10時間以上労働した事例もあった。日帝侵略の象徴であるゼロ戦の部品を削って組み立てる軍需工場にも多くの子どもが動員された。海外だけでなく韓半島(朝鮮半島)各地の炭鉱と土建、紡績工場など多様な現場で働いた」

Q:『反日種族主義』という本が最近議論になった。一部では徴用の強制性を否定する主張も出ている。

A:「1938年に日帝は戦争遂行のため国家総動員法を作った。日本本土だけでなく占領地と植民地などで人と物品そして資金の3種類を総動員できるものだ。違反すれば処罰条項がある『戦時授権法』だった。1938年以前に生活のために仕事を探し自発的に日本に渡った人たちと戦時体制で強制動員された人たちの事例を区別していないところから大きな誤りが生まれた」

Q:『反日種族主義』の主張が誤っているという話なのか。

A:「たとえば『良い条件で金を稼ぎに日本に行く道ができた。金も稼げて学校にも通える』という形で懐柔しだまして連れていったケースが多かった。無理に連れて行けば抵抗が大きく協力にならないためこうした方式を使った。そそのかして連れていけば強制性がないものなのか。だまされた人の過ちなのか、だまして連れて行った当時のシステムが誤ったものなのか」



「日本、国際協約破り戦闘機生産に朝鮮人児童を強制動員」(2)

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