海外ブランドの服を着ることだけでも後ろ指を差された時代だったが、「民族の怨しゅう(?)」の名前が刻まれた服を着るというのはありえないことだった。何かを知っていてそうだったわけでもなく、その時は雰囲気がそうだった。そのブランドが「MICHIKO KOSHINO」という有名デザイナーの名前から取ってきたものだということ知ったのはそれからかなり後のことだった。美智子皇后とは関連がないのはもちろんだ。
明仁天皇在任中、美智子皇后の存在はかなり大きかった。2人の夫妻が平和を尊重して戦争に反対する声を上げてきたのはカトリック学校を卒業した美智子皇后の影響だったという。