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【中央時評】プリツカー賞の一つも受賞できない韓国の建築家(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
小川敬吉。朝鮮総督府の下級公務員だった。高麗時代以降、韓半島(朝鮮半島)の工事監督者として初めて残された名前だ。彼は平昌オリンピック開催の700年前の高麗末に建てられたある建物の補修作業の責任者だった。この建物は朝鮮時代に5回の修理と塗装作業が行われた。しかし朝鮮はその職人のうち誰一人記録しない社会だった。一方、植民地の田舎の建物の補修工事責任者の名前も記憶する社会がプリツカー賞、ノーベル賞を受賞する国になった。彼が修理責任者として4カ月でもなく4年かけて最大限に創建状態に近づけた建物が大韓民国国宝49号だ。修徳寺(スドクサ)大雄殿。

江戸時代、職人は水準が認められれば武士のように刀を身につけることができた。ぞっとする。まともに仕事ができなければ刀の前に命を出せということだ。要求は簡単だ。命をかけろ。そのような職人が今でも建物を施工し、研究室で実験する。我々のランドマークはこれはどうしてあれはどうするのかという作業員がする。工事予算が不足するため、熟練度を信頼できない異国の勤労者が増える。多くの公共建物が世界建築界があきれるデザインに基づいて適当に建てられ、誰も記憶する必要のない虚しい事業になって都市に投げ込まれる。

建築は難しい。利害の主体が多いが、利害関係は共有されにくいため、まず信頼構図が形成されなければいけない。日本と米国も変わらない。しかし韓国で建築するのは特に難しい。葛藤の社会であるからだ。言葉も手も荒い。ノーベル賞、プリツカー賞という前に社会を反省しなければいけない。このためプリツカー賞一つも受賞できないのかという叱咤の中でも、誰も分かってくれない歴史と都市の責任感で武装し、発注者・審議委員・行政公務員・請願人・工事現場作業員の間で奮闘する大韓民国の建築家たち、万歳。


ソ・ヒョン/建築家/ソウル大建築学科教授



【中央時評】プリツカー賞の一つも受賞できない韓国の建築家(2)

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