通貨危機、金融危機は一撃必殺だったが、製造業の強い回復弾力性のおかげで再起することができた。しかし今は国内外から飛んでくる無数のジャブを受け、徐々にダメージが蓄積している。全体産業の中で好調な分野はなく、自営業は厳しくなっている。唯一の支柱となっている輸出までが2けた減少だ。税金投入で創出したアルバイト以外には仕事も見つけにくい。青年はため息と挫折の中で怒りを表している。「失われた20年」の日本もこのような状況だったのだろうか。
先月1週間、京畿道平沢(ピョンテク)から全羅南道霊光(ヨングァン)、釜山(プサン)、慶尚北道浦項(ポハン)、江原道高城(コソン)まで海岸線に沿って2400キロをを回ったある教授の言葉が脳裏から離れない。「話にならない。停止した工場、つぶれた飲食店、船が2隻だけの釜山(プサン)新港…憂鬱になるしかない」。
先月1週間、京畿道平沢(ピョンテク)から全羅南道霊光(ヨングァン)、釜山(プサン)、慶尚北道浦項(ポハン)、江原道高城(コソン)まで海岸線に沿って2400キロをを回ったある教授の言葉が脳裏から離れない。「話にならない。停止した工場、つぶれた飲食店、船が2隻だけの釜山(プサン)新港…憂鬱になるしかない」。
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