金正恩(キム・ジョンウン)を乗せた汽車が2月24日午後、北京南部の石家荘を通過した。1940年代、石家壮は朝鮮義勇軍司令部が躍動していた太行山脈へ向かう乗換駅だ。延安派と呼ばれる義勇軍に合流しようと熱血青年たちがここで秘密連絡兵と接触した。「1号汽車」は、翌日、武漢と長沙を経て南下した。日本帝国と敵対した臨時政府と光復軍が血を流して退却した悔恨の都市だ。金正恩は交錯した歴史の運命を知ってはいるのだろうか。満州でパルチザン闘争をしていたがソ連軍第88旅団の支隊長として入国した祖父・金日成(キム・イルソン)はウラジオストクで船に乗って元山(ウォンサン)に入港した。中国大陸で起きていた独立抗争ドラマとはこれといって縁がなかった。
汽車は20世紀革命のイメージを乗せて走った。超音速旅客機と宇宙航空の時代にその古い革命政治を世の中に伝播しようとするようにだ。世界の人々はまるでモノクロ映画を見るように荒波の歳月を回顧しただろう。中国大陸を横切って機関車が到着した場所はベトナム国境の中越戦争で汚されたドンダン駅だった。朝鮮とベトナムが機関車でつながった有史以来、初めての事件だった。240年前、清の第6代皇帝・乾隆帝の命を受けた騎兵万が初めて踏んだ地、それよりもはるか昔、フビライ・ハーンのモンゴル軍隊が越南(ベトナム)征服を敢行した当時、渡った国境だった。中国に踏みにじられた数百回の戦闘で唯一の2回の勝利がそれだ。清の騎兵を追い払ったグエン・フエ(阮文恵)、モンゴル騎兵を退却させたチャン・フン・ダオ(陳興道)将軍。繁栄していたすべてのベトナム王朝を騎馬兵で何度も踏みにじった中国は、越南人の民族の敵だが、中国の同盟国に快く国境を開いた。
越南と朝鮮は中国の辺境国であり地位が違った。越南は中国から鼻つまみ者、朝鮮は学問を練磨する模範生だった。北京に行った朝鮮使臣が人質として連れてこられたベトナム王族にまれに会うことはあった。反米戦線を確認しようとかつて金日成主席がベトナムを訪問したこともある。今日、越南は核保有国になった何の関わりもない兄弟国に歴史的友情を守ろうと南行き汽車を歓迎した。その上、米朝首脳会談のすべての費用を出した。越南人は金正恩に骨身にしみる一言を言いたかったはずだ。「核を放棄しろ、人民を食べさせろ、それが生きる道だ」と。
金正恩の汽車ロードショーは無為に終わった。若い青年が老獪な「交渉の達人」に勝つ道理はなかった。金正恩は差し迫っていて、トランプは急ぐ理由がなかった。古い寧辺(ヨンビョン)核施設は高い値がつかなかった。カンソンとヒチョンに隠しておいた秘密ウラン濃縮施設が米国の諜報衛星によってその存在が暴かれ、北朝鮮は購入価値の全くない商品を持ち出したことに気づかなくてはならなかった。だからといって革命のロードショーを行った金正恩が退くことはできず、ハノイ会談は結局決裂した。ベトナムは舌打ちし、中国は狼狽を隠すことができなかっただろう。トランプは直ちに帰国の飛行機に乗った。そして彼の忠僕だったマイケル・コーエンが投げた公聴会爆弾に反駁文を飛ばした。コーエンの爆弾発言が気になって仕方がないトランプと、核兵器セールの白紙で難しい境地に立たされた金正恩の帰路どっちもどっちだ。
人類文明史にとって最大の敵は核兵器だ。核兵器製造にも厳しい冒険が必要だが、ひとまず確保した核を廃棄することはもっと大変だ。最強国家をテーブルにつかせることができる魔力と、敵対国家に憂さ晴らしできる怪力を同時に持つことになる。ところが魔力と怪力をほしいままにするためにはそれ相応の対価が伴う。一度できあがってしまった核兵器は製造者の論理とは質的に異なる独自の論理で回っていく。核兵器は「廃棄」よりは「爆発」したい本能を持って生まれる。爆発本能を抑制することが政治であり、国際政治力学だ。トランプと金正恩は核兵器の爆発本能を統制しようと会ったが、その水準とやり方が違った。スモールディール(small deal)ではあるが、期待を寄せていた文在寅(ムン・ジェイン)大統領の進路もひとまず手詰まりになってしまった。「近い内に会おう」というトランプ大統領の電話1本をもらっただけだ。
それでも三一節(独立運動記念日)の記念演説で文在寅大統領が明らかにした「新韓半島(朝鮮半島)構想」が終わったわけではないだろう。むしろ比重が大きくなったといおうか。今朝、石家壮を通過する「革命の機関車」で金正恩は万感が交差するだろう。改革開放で活力を取り戻したハノイの風景と、電力と食糧不足に苦しめられる平壌(ピョンヤン)を悲感できない統治者は歴史の背倫児(人倫に背いた行いをする者)だ。AI(人工知能)と仮想現実の時代は、金日成-金正日(キム・ジョンイル)-金正恩の3代世襲の道を決して順調に進ませてはくれない。独自論理で回る核兵器も金正恩を裏切る日が来る。「新韓半島構想」は金正恩のすさまじい挫折から始まる。まるで戦禍で壊滅したハノイが敵対国の米国と手を握ったように、平壌もソウルから脱出口を探るべき時が来たのだ。ハノイと平壌をつなぐ徒歩橋、ソウル、そろそろ出番だ。
ソン・ホグン/中央日報コラムニスト・POSTECH(浦項工科大学)人文社会学部長
汽車は20世紀革命のイメージを乗せて走った。超音速旅客機と宇宙航空の時代にその古い革命政治を世の中に伝播しようとするようにだ。世界の人々はまるでモノクロ映画を見るように荒波の歳月を回顧しただろう。中国大陸を横切って機関車が到着した場所はベトナム国境の中越戦争で汚されたドンダン駅だった。朝鮮とベトナムが機関車でつながった有史以来、初めての事件だった。240年前、清の第6代皇帝・乾隆帝の命を受けた騎兵万が初めて踏んだ地、それよりもはるか昔、フビライ・ハーンのモンゴル軍隊が越南(ベトナム)征服を敢行した当時、渡った国境だった。中国に踏みにじられた数百回の戦闘で唯一の2回の勝利がそれだ。清の騎兵を追い払ったグエン・フエ(阮文恵)、モンゴル騎兵を退却させたチャン・フン・ダオ(陳興道)将軍。繁栄していたすべてのベトナム王朝を騎馬兵で何度も踏みにじった中国は、越南人の民族の敵だが、中国の同盟国に快く国境を開いた。
越南と朝鮮は中国の辺境国であり地位が違った。越南は中国から鼻つまみ者、朝鮮は学問を練磨する模範生だった。北京に行った朝鮮使臣が人質として連れてこられたベトナム王族にまれに会うことはあった。反米戦線を確認しようとかつて金日成主席がベトナムを訪問したこともある。今日、越南は核保有国になった何の関わりもない兄弟国に歴史的友情を守ろうと南行き汽車を歓迎した。その上、米朝首脳会談のすべての費用を出した。越南人は金正恩に骨身にしみる一言を言いたかったはずだ。「核を放棄しろ、人民を食べさせろ、それが生きる道だ」と。
金正恩の汽車ロードショーは無為に終わった。若い青年が老獪な「交渉の達人」に勝つ道理はなかった。金正恩は差し迫っていて、トランプは急ぐ理由がなかった。古い寧辺(ヨンビョン)核施設は高い値がつかなかった。カンソンとヒチョンに隠しておいた秘密ウラン濃縮施設が米国の諜報衛星によってその存在が暴かれ、北朝鮮は購入価値の全くない商品を持ち出したことに気づかなくてはならなかった。だからといって革命のロードショーを行った金正恩が退くことはできず、ハノイ会談は結局決裂した。ベトナムは舌打ちし、中国は狼狽を隠すことができなかっただろう。トランプは直ちに帰国の飛行機に乗った。そして彼の忠僕だったマイケル・コーエンが投げた公聴会爆弾に反駁文を飛ばした。コーエンの爆弾発言が気になって仕方がないトランプと、核兵器セールの白紙で難しい境地に立たされた金正恩の帰路どっちもどっちだ。
人類文明史にとって最大の敵は核兵器だ。核兵器製造にも厳しい冒険が必要だが、ひとまず確保した核を廃棄することはもっと大変だ。最強国家をテーブルにつかせることができる魔力と、敵対国家に憂さ晴らしできる怪力を同時に持つことになる。ところが魔力と怪力をほしいままにするためにはそれ相応の対価が伴う。一度できあがってしまった核兵器は製造者の論理とは質的に異なる独自の論理で回っていく。核兵器は「廃棄」よりは「爆発」したい本能を持って生まれる。爆発本能を抑制することが政治であり、国際政治力学だ。トランプと金正恩は核兵器の爆発本能を統制しようと会ったが、その水準とやり方が違った。スモールディール(small deal)ではあるが、期待を寄せていた文在寅(ムン・ジェイン)大統領の進路もひとまず手詰まりになってしまった。「近い内に会おう」というトランプ大統領の電話1本をもらっただけだ。
それでも三一節(独立運動記念日)の記念演説で文在寅大統領が明らかにした「新韓半島(朝鮮半島)構想」が終わったわけではないだろう。むしろ比重が大きくなったといおうか。今朝、石家壮を通過する「革命の機関車」で金正恩は万感が交差するだろう。改革開放で活力を取り戻したハノイの風景と、電力と食糧不足に苦しめられる平壌(ピョンヤン)を悲感できない統治者は歴史の背倫児(人倫に背いた行いをする者)だ。AI(人工知能)と仮想現実の時代は、金日成-金正日(キム・ジョンイル)-金正恩の3代世襲の道を決して順調に進ませてはくれない。独自論理で回る核兵器も金正恩を裏切る日が来る。「新韓半島構想」は金正恩のすさまじい挫折から始まる。まるで戦禍で壊滅したハノイが敵対国の米国と手を握ったように、平壌もソウルから脱出口を探るべき時が来たのだ。ハノイと平壌をつなぐ徒歩橋、ソウル、そろそろ出番だ。
ソン・ホグン/中央日報コラムニスト・POSTECH(浦項工科大学)人文社会学部長
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