韓国では三・一運動100周年を控えて与党が連日三・一運動の意味を強調している。
与党「共に民主党」の李海チャン(イ・ヘチャン)代表は27日午後、ソウル永登浦区(ヨンドンポク)のある劇場で映画『抗拒:柳寛順(ユ・グァンスン)物語』を観覧した。この映画は柳寛順烈士が三・一運動で日帝に捉えられた後、西大門(ソデムン)刑務所8号室で過ごした1年間の話を描いている。
◆万歳三唱、独立宣言書の筆写…
李代表はこの日の映画観覧に先立ち開かれた民主党政策議員総会で「柳寛順烈士と同じくらい独立運動を熾烈に行われた方の中で、まだ(叙勲)3等級に分類された方々が多いが、その方々に対する待遇を再検討する契機を持たなければならないようだ」と話した。政府は前日、国務会議で独立章(3等級)だけ叙勲された柳寛順烈士に大韓民国章(1等級)を追叙することを議決した。
李代表は前日にはソウル麻浦区(マポグ)独立有功者福祉会館を訪問して独立有功者に会った。李代表は27日の党拡大幹部会議で「独立有功者を政府がこれまで疎かにしていたのではないかという感じを受けた」とし、独立有功者福祉会館を訪問した所感を明らかにした。民主党指導部は今月25日には党最高委員会議で三・一運動万歳三唱を再現し、議員は最近「三・一独立宣言書筆写チャレンジ」をリレー形式で進めて三・一運動の意味を再確認している。
◆三・一運動→三・一革命→ろうそく革命
民主党が三・一“運動”を三・一“革命”に変えて呼ぶ作業にも力を注いでいる。民主党のシンクタンクである民主研究院はこの日「なぜ三・一革命なのか」という題名の動画をYouTubeに掲示した。朴柱民(パク・ジュミン)・朴洸オン(パク・グァンオン)最高委員らが動画に出演して臨時政府当時にも「三・一大革命」と呼んだ点などを理由に「三・一革命」と呼ぶのが正しいと主張した。李代表も22日の民主党三・一運動-臨時政府100周年記念特別委員会発足式で「三・一運動を革命だと命名しなければなければならないとおっしゃられる方々がいる。私も革命と命名するほうが合っていると思う」と主張した。
最近の与党のこのような動きの背景には、三・一運動とろうそく革命の関係を強調して現政権誕生の歴史性を主張するための狙いがあるという解釈が出る。三・一運動の意味を強調して三・一革命に格上げした後、三・一革命とろうそく革命を併置しようとするシナリオということだ。
このような狙いは李代表の発言からも伺える。李代表は25日の党最高委員会議で「三・一革命を導いた自由民主青年精神は4・19革命(四月革命)と釜馬民主抗争、5・18民主化運動(光州事件)と6月抗争(6月民主抗争)、ろうそく革命につながってきた」と話した。ろうそく革命の精神は三・一運動から始まったという意味だ。チョ・グク青瓦台(チョンワデ、大統領府)民情首席もフェイスブックに掲載した動画で「三・一運動は100年前、先祖が行ったろうそく革命だった」と話した。
◆北朝鮮はなぜ共同行事を断ったか?
与党と政府は三・一運動100周年行事を北朝鮮と共同で開催してこれを契機に南北の歴史的同質性を浮き彫りにしようという計画も持っていた。だが、北朝鮮の拒絶で共同行事開催は失敗に終わった。イ・ヨンソン青瓦台市民社会首席はこの日国会議員会館で開かれた党政青政策討論会「南北共同独立運動研究、どうすべきか」に参加して、「南北間には三・一運動と臨時政府樹立をめぐって独立運動に対する見解の違いがあるのが事実」と明らかにした。チョン・ウンヒョン国務総理秘書室長も「(南北が)本音では歴史認識に対する違いが(あるが)話すことができない」と話した。
韓国政府は建国の根を臨時政府と考えていると同時にその樹立契機を三・一運動とみている。反面、北朝鮮は建国の始まりが金日成(キム・イルソン)の主導した抗日武装闘争だと主張する。北朝鮮対外宣伝メディア「こだま」は22日、「三・一運動は事大主義を徹底的に排撃し、自らの革命力を強力に築き上げなければならないという深い教訓を残した」として三・一運動を「失敗した蜂起」と規定した。
与党「共に民主党」の李海チャン(イ・ヘチャン)代表は27日午後、ソウル永登浦区(ヨンドンポク)のある劇場で映画『抗拒:柳寛順(ユ・グァンスン)物語』を観覧した。この映画は柳寛順烈士が三・一運動で日帝に捉えられた後、西大門(ソデムン)刑務所8号室で過ごした1年間の話を描いている。
◆万歳三唱、独立宣言書の筆写…
李代表はこの日の映画観覧に先立ち開かれた民主党政策議員総会で「柳寛順烈士と同じくらい独立運動を熾烈に行われた方の中で、まだ(叙勲)3等級に分類された方々が多いが、その方々に対する待遇を再検討する契機を持たなければならないようだ」と話した。政府は前日、国務会議で独立章(3等級)だけ叙勲された柳寛順烈士に大韓民国章(1等級)を追叙することを議決した。
李代表は前日にはソウル麻浦区(マポグ)独立有功者福祉会館を訪問して独立有功者に会った。李代表は27日の党拡大幹部会議で「独立有功者を政府がこれまで疎かにしていたのではないかという感じを受けた」とし、独立有功者福祉会館を訪問した所感を明らかにした。民主党指導部は今月25日には党最高委員会議で三・一運動万歳三唱を再現し、議員は最近「三・一独立宣言書筆写チャレンジ」をリレー形式で進めて三・一運動の意味を再確認している。
◆三・一運動→三・一革命→ろうそく革命
民主党が三・一“運動”を三・一“革命”に変えて呼ぶ作業にも力を注いでいる。民主党のシンクタンクである民主研究院はこの日「なぜ三・一革命なのか」という題名の動画をYouTubeに掲示した。朴柱民(パク・ジュミン)・朴洸オン(パク・グァンオン)最高委員らが動画に出演して臨時政府当時にも「三・一大革命」と呼んだ点などを理由に「三・一革命」と呼ぶのが正しいと主張した。李代表も22日の民主党三・一運動-臨時政府100周年記念特別委員会発足式で「三・一運動を革命だと命名しなければなければならないとおっしゃられる方々がいる。私も革命と命名するほうが合っていると思う」と主張した。
最近の与党のこのような動きの背景には、三・一運動とろうそく革命の関係を強調して現政権誕生の歴史性を主張するための狙いがあるという解釈が出る。三・一運動の意味を強調して三・一革命に格上げした後、三・一革命とろうそく革命を併置しようとするシナリオということだ。
このような狙いは李代表の発言からも伺える。李代表は25日の党最高委員会議で「三・一革命を導いた自由民主青年精神は4・19革命(四月革命)と釜馬民主抗争、5・18民主化運動(光州事件)と6月抗争(6月民主抗争)、ろうそく革命につながってきた」と話した。ろうそく革命の精神は三・一運動から始まったという意味だ。チョ・グク青瓦台(チョンワデ、大統領府)民情首席もフェイスブックに掲載した動画で「三・一運動は100年前、先祖が行ったろうそく革命だった」と話した。
◆北朝鮮はなぜ共同行事を断ったか?
与党と政府は三・一運動100周年行事を北朝鮮と共同で開催してこれを契機に南北の歴史的同質性を浮き彫りにしようという計画も持っていた。だが、北朝鮮の拒絶で共同行事開催は失敗に終わった。イ・ヨンソン青瓦台市民社会首席はこの日国会議員会館で開かれた党政青政策討論会「南北共同独立運動研究、どうすべきか」に参加して、「南北間には三・一運動と臨時政府樹立をめぐって独立運動に対する見解の違いがあるのが事実」と明らかにした。チョン・ウンヒョン国務総理秘書室長も「(南北が)本音では歴史認識に対する違いが(あるが)話すことができない」と話した。
韓国政府は建国の根を臨時政府と考えていると同時にその樹立契機を三・一運動とみている。反面、北朝鮮は建国の始まりが金日成(キム・イルソン)の主導した抗日武装闘争だと主張する。北朝鮮対外宣伝メディア「こだま」は22日、「三・一運動は事大主義を徹底的に排撃し、自らの革命力を強力に築き上げなければならないという深い教訓を残した」として三・一運動を「失敗した蜂起」と規定した。
この記事を読んで…