「菊と刀」は日本の二重性を象徴している。
菊と刀は常に一緒に動いた。大韓帝国時期にも菊の香りに酔った者が多かった。親日開化派たちだ。その時に日帝が開発した「つくりものの菊」が東洋平和論だった。その香りはどれほど強かったのだろう、抗日闘争の英雄・安重根(アン・ジュングン)でさえしばらくする目がくらむほどだった。侵略戦争が東洋平和論でラッピングされていたが、西洋に対抗して韓日中三国が手を取り合い共同繁栄を成し遂げようという甘いささやきに心を惑わされないようにすることはそう簡単なことではなかっただろう。東洋平和論の後ろには征韓論という鋭利な日本刀が置かれていた。征韓論、韓国を征伐するという意味だ。韓国征伐が日本の安保を保障するということだ。征韓論はすでに江華島条約当時に用意されていた。日帝は韓国を侵略して「保護」というとんでもない美名を前に出した。誰が誰を保護するということなのか。中国とロシアの侵略から韓国を保護するという口実を掲げたものだが、その実状を知ると実は保護しようとしていたのは韓国でなく日本そのものだった。日本の二重性の中で最も極悪な事例の一つは、われわれの歴史の記録にメスを入れたことだ。韓国の歴史本の中に隠れている菊と刀のコードを分解して取り出していくことは容易なことではない。われわれが日本の菊と刀に対する一面的な対応を繰り返し、今までずっと内部分裂様相を呈してきた背景には誤った歴史教育が横たわっていると考える。
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