このファイルを見たとたん、「これだ」と思って流出したわけでもない。最初は見ただけで閉じた。ところが、1カ月後、再び報告のためソウルに来てこのコンピュータをつけた時も依然として削除されないまま残っており、結局悩みの末に普段から知り合いの記者に伝えた。マスコミ報道後、青瓦台民情首席室から当該課の調査に着手し、首相室公職規律室は非公開資料の管理実態を別に監察するなど騒ぎ立てた。だが、結局、流出者は探せなかった。資金はただ機密を取り扱う所でなく普通の企業でもファイルをコピーしたりプリントしたりすれば簡単に追跡が可能だが、大韓民国の核心経済政策を扱う企画財政部はそのような簡単な装置さえ設置しておかなかったためだ。米中間スパイ戦争や北朝鮮の頻繁なハッキング試みをあえて言及しなくても、政府部署文書のセキュリティー維持は基本中基本だ。そのような意味で文書を流出した罪に劣らず、外部に流出してはならない資料を勝手に放置した罪も決して小さいと言えないのではないだろうか。
国家債務の規模をねつ造しようとした試みに関連した一連の状況も「これが国か」と嘆かせる。ただ、文在寅政府の「天下りで公務員になった人」だけでなく、「職業として公務員になった人」すら「政務的判断」という理由で国家と国民に被害を及ぼすことを何とも思わないということに気づいたからだ。
議論が真っ最中である2017年11月14日発生した国債早期償還(バイバック)の取り消し騒ぎのことだ。シン前事務官をはじめ、当時次官補に至るまで企画財政部担当者は皆反対したにもかかわらず、金副首相は赤字性国債発行に固執した。ここで「政務的判断」が登場する。金東ヨン(キム・ドンヨン)前副首相は「1級まで上がっても何が重要なのか政務的判断ができないのか」として次官補を叱責した。結局、実務陣はその翌日に予定されていた1兆ウォン(約963億円)規模の国債早期償還の入札を一日前に電撃取り消すほかはなかった。国債市場開設以降、初めて起きたことによって市場は大きな混乱を経験した。さらにあきれるのはその後、金前副首相が見せた態度だ。シン前事務官によると、金前副首相はこのように話したという。「私は確かに早期償還を取り消すように指示したことがない。私が市場を揺さぶることをどれほど敬遠しているか。市場に公表したことを知っていたなら絶対にさせなかっただろう。私がその日ちょっと強く言って調整したと思ったが、これからはそうする必要ない」。
金前副首相は昨年12月、退任の辞で「勇気」という言葉に言及した。毎日のようにポピュリズム政策を吐き出している青瓦台の人々の公然としたパッシング(のけ者)の中で自分の声を出せなかったが、離れる時になってやっと言うべきことを言えるようになったと評価された。だが、実際には国家システムに及ぼす被害は物ともせず政務的判断を云々として責任を避ける工夫を凝らしてきたのだろうか。真偽が気になって電話をかけたが、ついに答えを聞くことはできなかった。
これだから「これが国か」と言ってろうそくを手にしていた人々が最近、「これが国か」と問い直すのではないだろうか。
アン・ヘリ/論説委員
【コラム】前企画財政部事務官の暴露…「これは国か」という質問を投げかける(1)
国家債務の規模をねつ造しようとした試みに関連した一連の状況も「これが国か」と嘆かせる。ただ、文在寅政府の「天下りで公務員になった人」だけでなく、「職業として公務員になった人」すら「政務的判断」という理由で国家と国民に被害を及ぼすことを何とも思わないということに気づいたからだ。
議論が真っ最中である2017年11月14日発生した国債早期償還(バイバック)の取り消し騒ぎのことだ。シン前事務官をはじめ、当時次官補に至るまで企画財政部担当者は皆反対したにもかかわらず、金副首相は赤字性国債発行に固執した。ここで「政務的判断」が登場する。金東ヨン(キム・ドンヨン)前副首相は「1級まで上がっても何が重要なのか政務的判断ができないのか」として次官補を叱責した。結局、実務陣はその翌日に予定されていた1兆ウォン(約963億円)規模の国債早期償還の入札を一日前に電撃取り消すほかはなかった。国債市場開設以降、初めて起きたことによって市場は大きな混乱を経験した。さらにあきれるのはその後、金前副首相が見せた態度だ。シン前事務官によると、金前副首相はこのように話したという。「私は確かに早期償還を取り消すように指示したことがない。私が市場を揺さぶることをどれほど敬遠しているか。市場に公表したことを知っていたなら絶対にさせなかっただろう。私がその日ちょっと強く言って調整したと思ったが、これからはそうする必要ない」。
金前副首相は昨年12月、退任の辞で「勇気」という言葉に言及した。毎日のようにポピュリズム政策を吐き出している青瓦台の人々の公然としたパッシング(のけ者)の中で自分の声を出せなかったが、離れる時になってやっと言うべきことを言えるようになったと評価された。だが、実際には国家システムに及ぼす被害は物ともせず政務的判断を云々として責任を避ける工夫を凝らしてきたのだろうか。真偽が気になって電話をかけたが、ついに答えを聞くことはできなかった。
これだから「これが国か」と言ってろうそくを手にしていた人々が最近、「これが国か」と問い直すのではないだろうか。
アン・ヘリ/論説委員
【コラム】前企画財政部事務官の暴露…「これは国か」という質問を投げかける(1)
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