「今回の事態はKAIST(韓国科学技術院)理事会が政府の要求を拒否する力がないことを示したものだ」。
KAIST理事会が申成チョル(シン・ソンチョル)の職務停止要請件に対して留保決定を下した翌日の15日(日本時間)、国際学術誌「ネイチャー(Nature)」がこの出来事を伝えながら引用した表現だ。韓国の主要大学は独立的ではなく、政府の干渉に振り回されることに対する迂迴的な批判だ。ネイチャーは13日にも「申成チョル総長を研究費流用で告発したことに対して韓国科学者が抗議している」という題名の記事を報道した。ネイチャーが韓国科学技術界の便りを相次いで伝えるのは2005年黄禹錫(ファン・ウソク)事態以降初めてだ。
申総長事態は韓国だけにとどまらず、国際科学界でも注目される事件になった。申総長が大邱(テグ)慶北(キョンブク)科学技術院(DGIST)総長時代にプロジェクトを一緒にした米国ローレンスバークレー研究所(LBNL)は、韓国科学技術情報通信部とKAIST理事会に異例の書簡を送り、申総長に対する政府の告発内容を全面的に反論しながらLBNLとDGIST間の契約にはいかなる問題もないと主張した。
ネイチャーの申総長事態に対する報道は当面続くものとみられる。一方、政府の申総長職務停止要請に抗議する署名運動は14日現在で830人を越えた。自然科学分野のある教授は「今回の事件は申総長が実際に実定法を破ったかどうかを越えて、官僚に従属してきたこれまでの韓国科学界の弊害を克服しなければならないとの次元で理解するべき」とし「800人を越える科学技術者が、署名を通じて政府の干渉を批判したというのは、科学技術界のろうそくデモが起きたこと」と分析した。
科学技術界は科学技術情報通信部のその後の対応も批判している。科学技術情報通信部は14日、KAIST理事会の留保決定直後、「KAIST理事会の申成チョル総長職務停止再審決定に対する科学技術情報通信部の立場」という題名の参考資料を配布して「申成チョル総長が今回の事案の本質をわい曲し、国際問題に飛び火させた点を遺憾に考え、今後このような行動を自制するよう望む」とし「今後、教育者として検察捜査に誠実に臨み、責任を全うする姿を示すよう期待する」と伝えた。
第18代国会議員の経験がある明智(ミョンジ)大学物理学科の朴英娥(パク・ヨンア)教授は「科学技術情報通信部が発表した資料はローレンスバークレー国立研究所の明確かつ透明な説明を通した抗議と、科学技術者の正義と真実のための勇気ある署名運動を無視して、申総長を罪人のように公開的に脅迫するもの」としながら「科学界に対する政府の傲慢かつ野蛮な姿勢を見せたものだ」と批判した。
今回の申総長事態はいつ、なぜ始まったのか。表面的な始まりは今年7月だった。科学技術情報通信部がソン・サンヒョク前DGIST総長に対する監査を進めている中で、申総長に対する不正情報を受けてからだ。
科学技術情報通信部は申総長に対する監査を進めていた最中の先月28日、ソウル中央地検に申総長を業務上横領および背任容疑で告発したことに続き、その2日後にKAIST理事会に職務停止の要請までした。科学技術情報通信部はKAIST-LBNL間の契約が「当事者間契約」だけの締結であるため、国家契約法に抵触すると明らかにした。また、申総長が主張したLBNLの装備使用時間が年間2週に過ぎなかったという点、契約当時に作成した用役研究協約書と共同研究課題協約のうち一つだけを韓国研究財団(NRF)に提出したという点を挙げて申総長に業務上背任・横領容疑があると判断している。
だが、科学技術界によると、「申成チョル揺さぶり」は文在寅(ムン・ジェイン)政府発足直後から始まっていたというのが大半の意見だ。朴槿恵(パク・クネ)政府当時に任命された科学技術情報通信部傘下直轄機関と政府出資機関のトップだけではなく、KAIST総長も辞退圧力を受けているといううわさが昨年5月以降から広まっていたということだ。申総長は朴前大統領と小学校の同窓生という縁で昨年2月の総長選挙当時も代表的な「親朴要人」として知らされた。
科学界が主張しているように、今回の事態が「文在寅政府の申総長放逐」であるなら、これを主導している人物は誰だろうか。出資研究所で機関長の経験がある人物は「科学技術界をよく知っていて、要人を揺さぶることができる所なら青瓦台(チョンワデ、大統領府)科学技術補佐官室しかない」と話した。
KAISTのIT経営大学院の李炳泰(イ・ビョンテ)教授は「兪英民(ユ・ヨンミン)長官が自ら『今回の事案は私の手から離れた』と話した」と証言したという。KAIST理事会が申総長に対する科学技術情報通信部の職務停止要請に対する決定を留保したことにより、ボールは検察の手に渡ることになった。検察は今回の事案をソウル地検特捜部に割り振ったが、管轄地問題で大邱地検西部支庁に移管した。法曹界関係者は「事件が特捜部から地検へ渡ったということは検察の捜査意志が強くないことを示している」と話した。
KAIST理事会が申成チョル(シン・ソンチョル)の職務停止要請件に対して留保決定を下した翌日の15日(日本時間)、国際学術誌「ネイチャー(Nature)」がこの出来事を伝えながら引用した表現だ。韓国の主要大学は独立的ではなく、政府の干渉に振り回されることに対する迂迴的な批判だ。ネイチャーは13日にも「申成チョル総長を研究費流用で告発したことに対して韓国科学者が抗議している」という題名の記事を報道した。ネイチャーが韓国科学技術界の便りを相次いで伝えるのは2005年黄禹錫(ファン・ウソク)事態以降初めてだ。
申総長事態は韓国だけにとどまらず、国際科学界でも注目される事件になった。申総長が大邱(テグ)慶北(キョンブク)科学技術院(DGIST)総長時代にプロジェクトを一緒にした米国ローレンスバークレー研究所(LBNL)は、韓国科学技術情報通信部とKAIST理事会に異例の書簡を送り、申総長に対する政府の告発内容を全面的に反論しながらLBNLとDGIST間の契約にはいかなる問題もないと主張した。
ネイチャーの申総長事態に対する報道は当面続くものとみられる。一方、政府の申総長職務停止要請に抗議する署名運動は14日現在で830人を越えた。自然科学分野のある教授は「今回の事件は申総長が実際に実定法を破ったかどうかを越えて、官僚に従属してきたこれまでの韓国科学界の弊害を克服しなければならないとの次元で理解するべき」とし「800人を越える科学技術者が、署名を通じて政府の干渉を批判したというのは、科学技術界のろうそくデモが起きたこと」と分析した。
科学技術界は科学技術情報通信部のその後の対応も批判している。科学技術情報通信部は14日、KAIST理事会の留保決定直後、「KAIST理事会の申成チョル総長職務停止再審決定に対する科学技術情報通信部の立場」という題名の参考資料を配布して「申成チョル総長が今回の事案の本質をわい曲し、国際問題に飛び火させた点を遺憾に考え、今後このような行動を自制するよう望む」とし「今後、教育者として検察捜査に誠実に臨み、責任を全うする姿を示すよう期待する」と伝えた。
第18代国会議員の経験がある明智(ミョンジ)大学物理学科の朴英娥(パク・ヨンア)教授は「科学技術情報通信部が発表した資料はローレンスバークレー国立研究所の明確かつ透明な説明を通した抗議と、科学技術者の正義と真実のための勇気ある署名運動を無視して、申総長を罪人のように公開的に脅迫するもの」としながら「科学界に対する政府の傲慢かつ野蛮な姿勢を見せたものだ」と批判した。
今回の申総長事態はいつ、なぜ始まったのか。表面的な始まりは今年7月だった。科学技術情報通信部がソン・サンヒョク前DGIST総長に対する監査を進めている中で、申総長に対する不正情報を受けてからだ。
科学技術情報通信部は申総長に対する監査を進めていた最中の先月28日、ソウル中央地検に申総長を業務上横領および背任容疑で告発したことに続き、その2日後にKAIST理事会に職務停止の要請までした。科学技術情報通信部はKAIST-LBNL間の契約が「当事者間契約」だけの締結であるため、国家契約法に抵触すると明らかにした。また、申総長が主張したLBNLの装備使用時間が年間2週に過ぎなかったという点、契約当時に作成した用役研究協約書と共同研究課題協約のうち一つだけを韓国研究財団(NRF)に提出したという点を挙げて申総長に業務上背任・横領容疑があると判断している。
だが、科学技術界によると、「申成チョル揺さぶり」は文在寅(ムン・ジェイン)政府発足直後から始まっていたというのが大半の意見だ。朴槿恵(パク・クネ)政府当時に任命された科学技術情報通信部傘下直轄機関と政府出資機関のトップだけではなく、KAIST総長も辞退圧力を受けているといううわさが昨年5月以降から広まっていたということだ。申総長は朴前大統領と小学校の同窓生という縁で昨年2月の総長選挙当時も代表的な「親朴要人」として知らされた。
科学界が主張しているように、今回の事態が「文在寅政府の申総長放逐」であるなら、これを主導している人物は誰だろうか。出資研究所で機関長の経験がある人物は「科学技術界をよく知っていて、要人を揺さぶることができる所なら青瓦台(チョンワデ、大統領府)科学技術補佐官室しかない」と話した。
KAISTのIT経営大学院の李炳泰(イ・ビョンテ)教授は「兪英民(ユ・ヨンミン)長官が自ら『今回の事案は私の手から離れた』と話した」と証言したという。KAIST理事会が申総長に対する科学技術情報通信部の職務停止要請に対する決定を留保したことにより、ボールは検察の手に渡ることになった。検察は今回の事案をソウル地検特捜部に割り振ったが、管轄地問題で大邱地検西部支庁に移管した。法曹界関係者は「事件が特捜部から地検へ渡ったということは検察の捜査意志が強くないことを示している」と話した。
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