では今後、日中関係は蜜月を謳歌するだろうか。そのようには思えない。両国関係をめぐる構造的問題が大きいためだ。それがまさに「歴史的な競争意識」で、これが日中関係改善の足を引っ張るものとみられる。「歴史的な競争」との言葉自体が的外れだと主張する人もいるだろう。国土や人口で日本が中国と比較にならないためだ。しかし、日中関係が歴史的に不信と憎しみで綴られているという点は否めない。
中国は永らく東アジアで自国中心の位階的中華秩序を構築し、近隣諸国の順応を要求してきた。反面、日本は中華秩序の外で独自のアイデンティティを維持して中国に対して同等であることを主張した。日本は自身の位置を「アジアの東側にある島」でなく「太平洋西側から中国を見る島」と設定してきた。聖徳太子は607年、隋に使節を派遣し「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」と綴った書簡を送った。
近代に入り、日本は1895年の日清戦争で勝ち、中国中心の天下秩序を瓦解させた。1932年には中国東北に傀儡政権である満州国を設立し、37年からは本格的な中国侵略に乗り出した。日中間で不信と憎しみの歴史遺産が作られた。それでも日本と中国が冷戦時代にしばらく安定的な関係を維持したのはなぜか。
日中共に安保的にソ連という共通の敵がいたためだ。また、日本から経済的支援を望んだ中国が、日本に対する復しゅうを戦略的に自制したのももう一つの理由だ。毛沢東が「日本の中国侵略責任は日本政府にあって日本国民にはない」と述べて72年の関係正常化の時に莫大な戦争賠償金を放棄したのはこのような背景からだ。日本は感激し、中国に対する謝罪の意味で経済的支援を行った。
このような日中関係に変化が起き始めたのは冷戦が終わった90年代初頭以降だ。まず、安保的にソ連が解体されて共通の敵が消えた。経済的には2010年に中国国内総生産(GDP)が日本を越えて、中国が日本に対する戦略的自制をこれ以上しなくなった。これに伴い、日中関係には「台頭する中国、これを快く思わない日本」という構図が形成された。
中国は、安倍政府を再武装のために緊張を呼び起こす問題児としてみている。反面、日本は習近平政府が覇権的な中華帝国の地位回復を狙っているとみて懸念している。戦後、潜在していた日中間の歴史的競争意識が再燃する勢いだ。こうした中、日中共に東アジアの重要国家である韓国を自国に有利なほうに誘導しようと限りなく努めている。
習近平主席が2014年訪韓時の講演で「明国のトウ子龍将軍と朝鮮の李舜臣将軍が露梁(ノリャン)海戦で殉職した」として抗日を強調したのが一例だ。反面、日本は「韓国は自由と民主主義、市場経済など基本的価値を共有する最も重要な隣国」として権威主義的な国・中国に対して韓日が共にけん制することを希望している。
韓国としては、隣国である日中が、今後、相当期間葛藤を続けることを前提に、日中関係の推移を鋭意注視しながら、冷静かつバランスよく国益を追求していくべきだ。あわせて、今回の安倍首相の訪中で我々が注目するべき点がひとつある。中国が日本に求愛している理由が、日本が米国の重要な同盟国だという点だ。これは堅固な韓米同盟が我々の対中関係でも立派な資産になることを物語っている。
◆延上模(ヨン・サンモ)
外交部中国課長・駐ウィーン代表部参事官・駐日本公使参事官・駐上海副総領事・駐新潟総領事を歴任した。台湾国立政治大学修士・誠信(ソンシン)女子大学博士。ソウル大学中国研究所招へい研究員を務めた。
延上模/誠信女子大学東アジア研究所研究委員
<チャイナインサイト>習主席はなぜ突然安倍首相にラブコールを送り始めたのか(1)
中国は永らく東アジアで自国中心の位階的中華秩序を構築し、近隣諸国の順応を要求してきた。反面、日本は中華秩序の外で独自のアイデンティティを維持して中国に対して同等であることを主張した。日本は自身の位置を「アジアの東側にある島」でなく「太平洋西側から中国を見る島」と設定してきた。聖徳太子は607年、隋に使節を派遣し「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」と綴った書簡を送った。
近代に入り、日本は1895年の日清戦争で勝ち、中国中心の天下秩序を瓦解させた。1932年には中国東北に傀儡政権である満州国を設立し、37年からは本格的な中国侵略に乗り出した。日中間で不信と憎しみの歴史遺産が作られた。それでも日本と中国が冷戦時代にしばらく安定的な関係を維持したのはなぜか。
日中共に安保的にソ連という共通の敵がいたためだ。また、日本から経済的支援を望んだ中国が、日本に対する復しゅうを戦略的に自制したのももう一つの理由だ。毛沢東が「日本の中国侵略責任は日本政府にあって日本国民にはない」と述べて72年の関係正常化の時に莫大な戦争賠償金を放棄したのはこのような背景からだ。日本は感激し、中国に対する謝罪の意味で経済的支援を行った。
このような日中関係に変化が起き始めたのは冷戦が終わった90年代初頭以降だ。まず、安保的にソ連が解体されて共通の敵が消えた。経済的には2010年に中国国内総生産(GDP)が日本を越えて、中国が日本に対する戦略的自制をこれ以上しなくなった。これに伴い、日中関係には「台頭する中国、これを快く思わない日本」という構図が形成された。
中国は、安倍政府を再武装のために緊張を呼び起こす問題児としてみている。反面、日本は習近平政府が覇権的な中華帝国の地位回復を狙っているとみて懸念している。戦後、潜在していた日中間の歴史的競争意識が再燃する勢いだ。こうした中、日中共に東アジアの重要国家である韓国を自国に有利なほうに誘導しようと限りなく努めている。
習近平主席が2014年訪韓時の講演で「明国のトウ子龍将軍と朝鮮の李舜臣将軍が露梁(ノリャン)海戦で殉職した」として抗日を強調したのが一例だ。反面、日本は「韓国は自由と民主主義、市場経済など基本的価値を共有する最も重要な隣国」として権威主義的な国・中国に対して韓日が共にけん制することを希望している。
韓国としては、隣国である日中が、今後、相当期間葛藤を続けることを前提に、日中関係の推移を鋭意注視しながら、冷静かつバランスよく国益を追求していくべきだ。あわせて、今回の安倍首相の訪中で我々が注目するべき点がひとつある。中国が日本に求愛している理由が、日本が米国の重要な同盟国だという点だ。これは堅固な韓米同盟が我々の対中関係でも立派な資産になることを物語っている。
◆延上模(ヨン・サンモ)
外交部中国課長・駐ウィーン代表部参事官・駐日本公使参事官・駐上海副総領事・駐新潟総領事を歴任した。台湾国立政治大学修士・誠信(ソンシン)女子大学博士。ソウル大学中国研究所招へい研究員を務めた。
延上模/誠信女子大学東アジア研究所研究委員
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