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【コラム】中国人の集団無意識が韓国にも?

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
中国人は長い間自分たちが暮らす地を世界の中心と考えてきた。自分たちの文化もやはり世界最高だった。そのため彼らは自国を天下と呼び、王朝を天朝と称し、皇帝を天子と称した。こうした中国人の集団無意識は帝国主義列強に徹底してもてあそばれた19世紀にも消えなかった。

他の中国人とは違い覚醒していた思想家の魯迅は随筆「随感録38」でこうした迷夢を「愛国的傲慢」と嘆いた。そしてその愛国的傲慢の種類を5種類に整理した。まず中国は国土が広く物が豊富で、早くから文明の花を咲かせ、われわれの道徳は世界最高だ。2番目に、外国の物質文明は優れているが中国の精神文明はさらに優れている。3番目に、外国の文物は中国にもすでに存在するものであり、さまざまな科学的理論はすでに中国のだれかが話したものだ。4番目に、外国にも物乞いや藁葺きの家、売春婦、南京虫は存在するものだ。5番目に、中国は野蛮な面ですら優れている。

魯迅の辛辣な風刺が思い出されたのは、その愛国的傲慢という集団無意識が21世紀のこの地で広がり始めているようだからだ。韓国人すべてがそうなのではない。もしかすると極めて少数だ。だが権力という刀を握っており危険な少数だ。魯迅がいまこの地に住んでいても現在の権力者グループから愛国的傲慢のにおいを嗅ぎつけるものと私は信じる。それなら魯迅をパロディにしてこれを再び5種類に整理してみることができそうだ。


まず私たちは正義と民主主義のために闘争し、圧力と圧迫にも屈服せず、私たちの道徳は最高だ。2番目に、この地を飢餓から解放させた人たちも優れているが、この地に民主主義を植え付けた私たちがさらに優れている。3番目に、開発独裁がなくてもこの地の経済は十分に成長できたものであり、おそらく分配の正義がさらにしっかり実現される経済を引き出しただろう。4番目に、保守主義者にも無能と無責任、非現実性が存在し、礼儀のない人も多い。5番目に、私たちは工作的な側面ですら優れている。

ある人は彼らを左派と呼び、ある人は進歩と呼び、ある人は運動圏と呼び、ある人は従北とも言う。そのようにだけ言うならば完全ではない。それがすべて混ざったグループである理由だ。従北という分類で議論の余地があるが、私は彼らの愛国心を疑わない。もしかしたら国と国民の発展のためにだれよりも激しく悩んできた人々だろう。

だが権力を握った後に現れる彼らの傲慢はいくらそれが愛国的であっても傍観できないことだ。傲慢でなければ保守政権がしたことをすべて積弊だと問い詰めながら自分たちも同じことを犯す行為はできないだろう。政権発足後にあちこちに下りていった天下り人事がそうで、最近世論の叱咤を受けている憲法裁判官と長官らの瑕疵人事がそうだ。私たちは正しいから私たちとコードさえ合えば道徳性がなくても、能力があろうがなかろうが問題にならないということではないかということだ。他のことが傲慢ではない。

ここまではそれでも軽い傲慢だ。国民を対象にした危険千万な経済実験と国の運命を運に任せるような天真爛漫な安保政策は震えて見守り難い。

経世済民の下では方法の違いは認められるが、指標と統計を歪曲し自己論理を裏付けるのは国民を欺くことだ。「貧困を嫌悪し分配を追求する左派はむしろ貧困を定着させ分け与えるものもなくさせる政策にしがみつく」という逆説が改めて立証されているがのんきに「成長痛」をうんぬんしているのは国民を軽視するものだ。

南北平和と共存をだれが反対するのかというが、消えないでいる核脅威の上に経済協力のはしごだけ急いでかけようとする態度は国と国民の安危を無視した無責任なことだ。その上で国会議長と野党代表に青瓦台の訪朝同行要請事実をメディア報道を通じて知らせるのは国民の代表である国会を冒涜する、傲慢を超え野放図なことに違いない。「党利党略」うんぬんする状況に至ってはあきれて言葉が出てこない。

魯迅は「(中国人が)現状を変えずとも隆盛でき自由で幸せな生活を享受することさえできるなら野蛮な人生も良いということだ。しかしだれが『そうだ』と話せるか」と書いた。そして「私が恐れるのは中国人が世界の人から追い出されるということ(随感録36)」とした。「まず自身を改造した後に社会を改造し世の中を改造しなければならない」ということだ。

魯迅の話から答えを探すことができる。韓国の権力グループの愛国的傲慢を先に変えなければ結局民心とともにしにくく、最後まで世の中を変えることができないだろう。

イ・フンボム/論説委員



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