본문 바로가기
이전 페이지로 가기 공유하기 주요 서비스 메뉴 열기

「73年も待ったが…なぜ強制徴用裁判は遅延するのか」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

強制徴用被害者パク・チャンファンさん(2001年死去)の長男パク・ジェフンさん。2012年に最高裁判所で強制徴用関連の初の勝訴判決を受けた。

最高裁判所は2012年5月24日、日本強占期の強制徴用被害者が起こした損害賠償訴訟で初めて日本企業の賠償責任を認める判決を出した。1945年8月15日の解放から70年が過ぎるまで被害の救済をまともに受けられず生きてきた強制徴用被害者は当時、判決が出ると万歳を叫んだ。

しかしその判決に従わない日本企業が2013年下半期に相次いで最高裁に再上告したことで強制徴用裁判は今でも最高裁で審議中だ。

こうした中、朴槿恵(パク・クネ)大統領(2013年2月-2017年3月)の行政府と梁承泰(ヤン・スンテ)最高裁長(2011年9月-2017年9月)の司法府の時代に強制徴用裁判を遅延させたという証拠が、最近の金命洙(キム・ミョンス)最高裁長体制で行われた積弊調査と検察の捜査で次々と出てきている。最近公開された最高裁の文書によると、朴槿恵政権が海外公館(大使館など)に派遣する法官を増やす代わりに、最高裁が2013年末以降に強制徴用裁判の確定判決を遅らせることにしたということだ。

裁判が数年遅延したという報道に誰よりも衝撃を受けたのは強制徴用訴訟当事者と多数の強制徴用被害者だ。日帝強制動員被害者支援財団によると、日本強占期の韓国の人口は2600万人だったが、うち23万人(北朝鮮と海外同胞除く、延べ約783万人)が強制動員された。強制動員には労務者(強制徴用など)・軍人・軍務員がある。

強制動員被害者のうち生存者は約3500人で、ほとんどが90歳前後の高齢者だ。このため2012年の最高裁勝訴判決(65年の韓日協定で国の請求権は消えても民間人の請求権は残っているという趣旨)から6年が経過しても最高裁の裁判の結末を見ることができず苦しんでいる。

強制徴用関連の日本企業を相手に提起された上告審のうち、2012年当時に最高裁の判断を受けながらも被告(日本企業)の再上告のためまた最高裁で審理中の再上告審は2件(2015年に別途上告審1件追加)だ。原告はそれぞれパク・チャンファンさん(1923-2001)ら5人とヨ・ウンテクさん(1923-2013)ら4人で、被告はそれぞれ三菱重工業と新日本製鉄(現新日鉄住金)。

9日に京畿道平沢(ピョンテク)でパク・チャンファンさんの長男パク・ジェフンさん(72)に会った。2012年に初めて最高裁の勝訴判決があったが、パク・チャンファンさんは勝訴を聞くことができず、2001年に強制徴用当時の原爆被害後遺症などのため死亡した。その時から長男パク・ジェフンさんが裁判を引き継いでいる。パク・チャンファンさんと共に訴訟を起こした原告5人は全員死亡し、遺族が訴訟を続けている。97年に新日本製鉄を相手取り日本で訴訟を起こしたヨ・ウンテクさんら原告4人のうち2人(イ・チュンシクさん、キム・ギュスさん)だけが生存している。

パク・ジェフンさんは「95年に父が三菱を相手に日本で訴訟を起こした時から23年、2000年に韓国で三菱を相手に別の訴訟を起こした時からは18年が経過した。ところが2012年の勝訴以降、裁判の遅延でまた6年の歳月を虚しく送り、最高裁と政府(外交部)に背信感を抱いている」と吐露した。

パク・ジェフンさんの父パク・チャンファンさんは44年9月、三菱重工業広島造船所鋳物工場に強制徴用された。結婚したばかりで農作業をしていたパク・チャンファンさんは日本の巡査(警察官)に連行され、三菱の職員に引き渡された。パクさんは45年8月6日、米軍の広島原爆投下により鉄の破片であごをひどく負傷した。パクさんは強制徴用被害者であり原爆被害者だったということだ。

パクさんは95年12月、日本政府と三菱重工業を相手取り損害賠償訴訟を起こしたが、99年3月に敗訴した(この裁判は2007年11月、日本最高裁で強制徴用に対する賠償責任は認められなかったが、強制連行、強制労働、未払い賃金、原爆被害放置の事実は認められた。)

日本で一審敗訴直後の2000年5月、パクさんら被害者5人は韓国の裁判所(釜山地裁)で三菱重工業を相手取り訴訟を起こしたが、一審、二審ともに棄却された後、最高裁で劇的に勝訴した。パク・ジェフンさんは「訴訟を起こした第1世代は全員が亡くなった。一日も早く最高裁再上告審裁判に終止符が打たれることを願う」と語った。

9日、光州(クァンジュ)で会った強制動員(女子勤労挺身隊)被害者ヤン・クムドクさん(89)は高齢で体が不自由だ。全羅南道羅州(ナジュ)が故郷のヤンさんは小学6年だった44年5月ごろ、「日本に行けば中学校にも通えるしお金もたくさん稼げる」という日本人校長の口車と脅迫に勝てず女子勤労挺身隊として連れて行かれた。名古屋の三菱航空機製作工場に送られ、15歳にもかかわらず一日10時間ずつ軍隊式に編成され、強制労働をした。

湖南(ホナム、全羅道)地域から行った朝鮮人少女24人のうち6人が44年12月の東南海地震で死亡し、当時ヤンさんも腹部に大けがを負った。解放後に帰国しようとして賃金を要求したが、三菱側は「(賃金を)すべて貯蓄しておいたので住所地に送る」と約束した。ヤンさんは「小学校で『日本人は正直で約束をよく守る』という洗脳教育を受けたので信じた。ところが73年が過ぎるまで毎日のように郵便配達を待ったが、三菱は賃金を送ってこなかった」と語った。

ヤンさんは99年3月、三菱と日本政府を相手取り名古屋地裁で訴訟を起こしたが、2008年に日本の最高裁判所が棄却した。2009年に日本厚生労働省は厚生年金加入の事実だけを認め、ヤンさんに厚生年金脱退手当99円を支払った。インスタントラーメン2個も買えない金額だった。

怒ったヤンさんは2012年5月、最高裁で過去初めて強制徴用被害補償判決が出ると、同年10月に三菱を相手に訴訟を起こして一審、二審で勝訴した。しかし2015年7月に三菱側が上告し、さらに最高裁で裁判の遅延があり、ヤンさんが起こした上告審も3年間結論が出ていない。

裁判の遅延についてヤンさんは「日本が幼い少女を連れて行って苦痛を与えたことに対して韓国政府が率先して謝罪と賠償を受けるべきであるが、むしろ裁判を遅らせてどうするのか。体も良くないのに、今か今かと確定判決を待ちながら老いて死にそうだ」と語った。

「73年も待ったが…なぜ強制徴用裁判は遅延するのか」(2)

関連記事

この記事を読んで…

포토뷰어

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    top 메뉴

    공유하기

    팝업닫기