シンガポールでの大談判を控えて北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長は「ナンバープレートのないベンツ」に乗って「夜行」した。6月11日午後9時ごろ(以下、現地時間)ホテルを出発した彼の専用車が向かったのはマリーナベイ・サンズホテルだった。57階建てホテルのスカイパーク展望台でシンガポールの夜景を見下ろして彼が何を思ったのかは分からない。金委員長はシンガポールに到着した後、極度に言葉を控えた。しかし「言葉」より「足」を見るべき時がある。
彼は昨年12月初め、氷点下20度を下回る寒さの中、白頭山(ペクドゥサン)の天池に行った。後に彼の「天地構想」は韓半島(朝鮮半島)情勢の大反転を開く「新年の辞」と平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)参加として表れた。何か重大な決心をする時に高いところに登る習性がある金委員長だ。金委員長が夜の外出を終えて宿舎に帰ってきた時間は午後11時21分だった。妹の金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長が半歩ほど後ろから密着随行した。中央日報の記者がホテルのロビーで目撃した金委員長の表情は決断を終えた人のように見えたという。
6月12日午前9時4分。トランプ米大統領と金正恩委員長がついに対面した。明日にでも戦争をするかのように核ボタンの大きさを自慢していた両首脳は12秒間にわたり手を強く握り合った。すでに対面自体が「世紀的」と評価されてきた。その両首脳が単独会談-拡大会談-昼食会を経て、午後1時49分に星条旗と北朝鮮国旗が並ぶテーブルで会談合意文に署名した。合意文についてトランプ大統領は「とても包括的な内容を含んでいる」とし「誰も予測できない水準であり満足している」と述べた。続いて金委員長が「世界はおそらく重大な変化を見ることになるだろう」と述べた場面は圧巻だった。
しかし今回の合意文はむしろ非核化への道がどれほど遠いかを象徴的に見せるものだった。今回の交渉の成功条件は何だったのか。一つずつ振り返る必要がある。
一つ目、「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID)」という文言が合意文に含まれるのか。
二つ目、北朝鮮が例えば非核化を2020年までに完了するという形で「時間」を約束するのか。
三つ目、北朝鮮が米国に実質的な脅威となる核弾頭と大陸間弾道ミサイル(ICBM)を廃棄・搬出するなどの先制的行動を取るのか。
この3つが核心だった。すべて金委員長の決断領域に属する問題だった。金委員長が非核化の3つの条件のうちどちらか一つだけでも決断すれば、南北と米国の終戦宣言、平和協定の締結、米朝国交正常化のような体制保証ロードマップも加速する状況だった。世界が米朝首脳会談で非核化と体制保証を「ビッグディール」と認識した理由だ。
しかし合意文はこうした期待に及ばなかった。この日、両首脳は4項目に合意した。米朝関係、平和体制、非核化につながる4・27板門店(パンムンジョム)宣言と同じ構造だ。非核化に関する表現は「2018年4月27日の板門店宣言を再確認し、北朝鮮は韓半島(朝鮮半島)の完全な非核化に向けた作業をすることを約束する」(第3項)というものだった。そのほかの3項目は▼新しい米朝関係を樹立することを約束(第1項)▼持続的で安定した韓半島平和体制の構築に努力(第2項)▼戦争捕虜・行方不明者の遺骨を回収(第4項)--という内容だ。期待を大きく下回る低いレベルの合意だ。
非核化が3番目の順位になった点、何よりもCVIDという文言が入っていない点が残念だ。4・27板門店宣言に明示された「完全な韓半島の非核化」から一歩も踏み出せず、依然として抽象的な目標として残っている状況だ。
過去24年間、韓半島には3回の公認された核危機があった。北朝鮮が1993年に国際原子力機関(IAEA)の特別査察要求を拒否して核拡散防止条約(NPT)を離脱すると、米国が94年6月に寧辺(ヨンビョン)核施設爆撃を検討したのが1次核危機だ。1次危機は94年10月のジュネーブ合意で乗り越えた。北朝鮮が核施設を凍結すれば見返りを与えるという内容だ。
2次核危機は2002年に北朝鮮が高濃縮ウラン開発を認めて訪れた。ジュネーブ合意は紙切れになり、新しい9・19共同声明(2005年)が誕生した。北朝鮮がすべての核を放棄し、米朝関係を正常化するという内容を入れた歴史的な合意だったが、やはり白紙化して久しい。
昨年、北朝鮮の核実験とICBM開発の完成は3回目の核危機のピークだった。しかし今回の合意文は9・19共同声明のレベルにも及ばなかった。それでも今回の会談を失敗した会談と速断することはできない。何よりも敵対関係の両首脳が70年ぶりに会ったこと自体が歴史的な事件だ。韓国戦争(朝鮮戦争)から数十年間も続いた敵対関係を終わらせるための第一歩は踏み出した。
トランプ大統領は首脳会談の後、合意文にない内容も公開した。「完全な非核化」に関連して金委員長が「北朝鮮ミサイルエンジン実験場閉鎖を約束した」というのがその一つだ。体制保証では「近いうちに実際に終戦宣言があるだろう」と述べた。非核化および体制保証のビッグディールをめぐる議論自体は非常に深く広範囲に行われたことを見せている。トランプ大統領は「金委員長が(平壌に)到着すれば(非核化)プロセスを全面的に速やかに始めるだろう」と話した。ABC放送のインタビューでは「金委員長がすべての場所を非核化するはず」とし「これからが始まり」と全面的な非核化プロセスの開始を強調した。
両首脳はポンペオ米国務長官と金英哲(キム・ヨンチョル)北朝鮮統一戦線部長の後続会談を可能な限り早期に開催することにした。後続会談で「完全な非核化」のロードマップ、総論的性格の米朝首脳の合意文に対する各論が出てくることをもう一度期待してみる。
しかしトランプ大統領が会見で「韓米連合訓練を中断する」「在韓米軍は今の議論から抜けていて未来の交渉でしなければいけない」と述べた点は懸念される。まだ非核化の具体的な措置の履行に入っていない状況で出てきたこのような突出発言は、韓国としても安保の弱化に直結しかねない。韓国政府の断固たる対応が必要な部分だ。トランプ大統領が「制裁は北朝鮮の核がもう脅威にはならないと判断された時に解除する。現在はまだ対北朝鮮制裁を維持する」と明らかにしたのは幸いだ。手に握った結果なく対北朝鮮制裁を緩和すれば安保状況を悪化させるだけだ。韓国政府が責任を負って安保ショックへの対策を用意しなければならないだろう。
今回の会談は期待に及ばない面があるが、ひとまず非核化の扉は開かれた。しかし今後進むべき道のりも遠い。我々はもう一度、金委員長の非核化決断を促す。「世界はおそらく重大な変化を見ることになるだろう」という彼の発言はもう全世界の人々が記憶する約束になった。金委員長はトランプ大統領と会った席で「ここまで来るのは容易な道でなかった」と述べた。「我々の足を引っ張った過去…すべてのことを乗り越えてこの席まできた」という話もした。もう金委員長は言葉でなく行動で非核化に動くことをを期待する。我々は彼がシンガポールの夜景を見ながら、また過去に戻りはしないと信じる。
彼は昨年12月初め、氷点下20度を下回る寒さの中、白頭山(ペクドゥサン)の天池に行った。後に彼の「天地構想」は韓半島(朝鮮半島)情勢の大反転を開く「新年の辞」と平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)参加として表れた。何か重大な決心をする時に高いところに登る習性がある金委員長だ。金委員長が夜の外出を終えて宿舎に帰ってきた時間は午後11時21分だった。妹の金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長が半歩ほど後ろから密着随行した。中央日報の記者がホテルのロビーで目撃した金委員長の表情は決断を終えた人のように見えたという。
6月12日午前9時4分。トランプ米大統領と金正恩委員長がついに対面した。明日にでも戦争をするかのように核ボタンの大きさを自慢していた両首脳は12秒間にわたり手を強く握り合った。すでに対面自体が「世紀的」と評価されてきた。その両首脳が単独会談-拡大会談-昼食会を経て、午後1時49分に星条旗と北朝鮮国旗が並ぶテーブルで会談合意文に署名した。合意文についてトランプ大統領は「とても包括的な内容を含んでいる」とし「誰も予測できない水準であり満足している」と述べた。続いて金委員長が「世界はおそらく重大な変化を見ることになるだろう」と述べた場面は圧巻だった。
しかし今回の合意文はむしろ非核化への道がどれほど遠いかを象徴的に見せるものだった。今回の交渉の成功条件は何だったのか。一つずつ振り返る必要がある。
一つ目、「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID)」という文言が合意文に含まれるのか。
二つ目、北朝鮮が例えば非核化を2020年までに完了するという形で「時間」を約束するのか。
三つ目、北朝鮮が米国に実質的な脅威となる核弾頭と大陸間弾道ミサイル(ICBM)を廃棄・搬出するなどの先制的行動を取るのか。
この3つが核心だった。すべて金委員長の決断領域に属する問題だった。金委員長が非核化の3つの条件のうちどちらか一つだけでも決断すれば、南北と米国の終戦宣言、平和協定の締結、米朝国交正常化のような体制保証ロードマップも加速する状況だった。世界が米朝首脳会談で非核化と体制保証を「ビッグディール」と認識した理由だ。
しかし合意文はこうした期待に及ばなかった。この日、両首脳は4項目に合意した。米朝関係、平和体制、非核化につながる4・27板門店(パンムンジョム)宣言と同じ構造だ。非核化に関する表現は「2018年4月27日の板門店宣言を再確認し、北朝鮮は韓半島(朝鮮半島)の完全な非核化に向けた作業をすることを約束する」(第3項)というものだった。そのほかの3項目は▼新しい米朝関係を樹立することを約束(第1項)▼持続的で安定した韓半島平和体制の構築に努力(第2項)▼戦争捕虜・行方不明者の遺骨を回収(第4項)--という内容だ。期待を大きく下回る低いレベルの合意だ。
非核化が3番目の順位になった点、何よりもCVIDという文言が入っていない点が残念だ。4・27板門店宣言に明示された「完全な韓半島の非核化」から一歩も踏み出せず、依然として抽象的な目標として残っている状況だ。
過去24年間、韓半島には3回の公認された核危機があった。北朝鮮が1993年に国際原子力機関(IAEA)の特別査察要求を拒否して核拡散防止条約(NPT)を離脱すると、米国が94年6月に寧辺(ヨンビョン)核施設爆撃を検討したのが1次核危機だ。1次危機は94年10月のジュネーブ合意で乗り越えた。北朝鮮が核施設を凍結すれば見返りを与えるという内容だ。
2次核危機は2002年に北朝鮮が高濃縮ウラン開発を認めて訪れた。ジュネーブ合意は紙切れになり、新しい9・19共同声明(2005年)が誕生した。北朝鮮がすべての核を放棄し、米朝関係を正常化するという内容を入れた歴史的な合意だったが、やはり白紙化して久しい。
昨年、北朝鮮の核実験とICBM開発の完成は3回目の核危機のピークだった。しかし今回の合意文は9・19共同声明のレベルにも及ばなかった。それでも今回の会談を失敗した会談と速断することはできない。何よりも敵対関係の両首脳が70年ぶりに会ったこと自体が歴史的な事件だ。韓国戦争(朝鮮戦争)から数十年間も続いた敵対関係を終わらせるための第一歩は踏み出した。
トランプ大統領は首脳会談の後、合意文にない内容も公開した。「完全な非核化」に関連して金委員長が「北朝鮮ミサイルエンジン実験場閉鎖を約束した」というのがその一つだ。体制保証では「近いうちに実際に終戦宣言があるだろう」と述べた。非核化および体制保証のビッグディールをめぐる議論自体は非常に深く広範囲に行われたことを見せている。トランプ大統領は「金委員長が(平壌に)到着すれば(非核化)プロセスを全面的に速やかに始めるだろう」と話した。ABC放送のインタビューでは「金委員長がすべての場所を非核化するはず」とし「これからが始まり」と全面的な非核化プロセスの開始を強調した。
両首脳はポンペオ米国務長官と金英哲(キム・ヨンチョル)北朝鮮統一戦線部長の後続会談を可能な限り早期に開催することにした。後続会談で「完全な非核化」のロードマップ、総論的性格の米朝首脳の合意文に対する各論が出てくることをもう一度期待してみる。
しかしトランプ大統領が会見で「韓米連合訓練を中断する」「在韓米軍は今の議論から抜けていて未来の交渉でしなければいけない」と述べた点は懸念される。まだ非核化の具体的な措置の履行に入っていない状況で出てきたこのような突出発言は、韓国としても安保の弱化に直結しかねない。韓国政府の断固たる対応が必要な部分だ。トランプ大統領が「制裁は北朝鮮の核がもう脅威にはならないと判断された時に解除する。現在はまだ対北朝鮮制裁を維持する」と明らかにしたのは幸いだ。手に握った結果なく対北朝鮮制裁を緩和すれば安保状況を悪化させるだけだ。韓国政府が責任を負って安保ショックへの対策を用意しなければならないだろう。
今回の会談は期待に及ばない面があるが、ひとまず非核化の扉は開かれた。しかし今後進むべき道のりも遠い。我々はもう一度、金委員長の非核化決断を促す。「世界はおそらく重大な変化を見ることになるだろう」という彼の発言はもう全世界の人々が記憶する約束になった。金委員長はトランプ大統領と会った席で「ここまで来るのは容易な道でなかった」と述べた。「我々の足を引っ張った過去…すべてのことを乗り越えてこの席まできた」という話もした。もう金委員長は言葉でなく行動で非核化に動くことをを期待する。我々は彼がシンガポールの夜景を見ながら、また過去に戻りはしないと信じる。
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