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金正恩氏、スイス留学中は冷めたスパゲティーに怒り…留学時代のエピソード(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

左からスイス留学時代の金正恩氏、金与正氏と推定される少女、「パク・チョル」という名前でアルバムに載っている金正哲(キム・ジョンチョル)氏。

先月27日に板門店(パンムンジョム)で開催された南北首脳会談が生中継され、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の一挙手一投足が初めて詳細に世界に紹介された。今年34歳の金委員長の口調と筆跡については、国内外では青少年期のスイス留学の影響が表れたという反応が出ている。

金委員長は芳名録に日にちを書いたが、数字「7」の中に線を引いた。欧州などでは数字「1」と「7」を区分するため7の中に線を引く。またq,金委員長の口調は予想よりも北朝鮮の抑揚が強くなく、使用する語彙も韓国の言葉とそれほど変わらないという点も世間の注目を集めた。

◆バスケットボールを抱いて寝る、007映画・レゴが好き


バスケットファンであり米プロバスケット(NBA)の「悪童」デニス・ロッドマンを平壌(ピョンヤン)に何度か招待した金委員長は、文在寅(ムン・ジェイン)大統領に対し、南北スポーツ交流に関してソウルと平壌を行き来して開催されていた「京平サッカー」大会よりもバスケットボールから始めようと話した。金委員長は「世界最長身のイ・ミョンフン選手がいた当時、北朝鮮は強かったが、引退後は弱くなった」とし「韓国には(身長が)2メートルを超える選手が多いでしょう」と文大統領に尋ねたという。

金委員長がバスケットボールに熱中したのはスイス・ベルン留学時代だ。1998年に米国に亡命した金正恩委員長の叔母・高英淑(コ・ヨンスク)氏と夫イ・ガン氏はワシントンポスト(WP)インタビューで、92年に金正恩委員長の兄・金正哲(キム・ジョンチョル)氏を連れてベルンに到着したと明らかにした。金正恩委員長は96年に合流した。

金正哲氏は「パク・チョル」という仮名で私立学校のベルン国際学校に通ったことが学校のアルバムで把握されている。ベルンにある北朝鮮大使館から車で7分ほどの距離にあるところだ。

「パク・ウン」という仮名を使用し、北朝鮮大使館の職員の子どもとして知られていた金正恩委員長も同じ学校に通っていたが、98年からはドイツ語を使うリーベフェルト・シュタインホルツリ公立学校に移った。金委員長の妹・金与正(キム・ヨジョン)労働党中央委第1副部長もこの学校に通ったと伝えられている。

金委員長らは公立学校付近のアパートで暮らした。当時、金委員長らを世話した高氏は「私たちは一般の家族のように平凡な家で暮らし、私が母のように行動した」とし「金正恩が友人を家に連れてくることもあり、おやつを作れば子どもたちはケーキを食べ、レゴをしながら遊んだ」と話した。

金正恩委員長はバスケットボールを始めた後、夢中になった。身長が低かった金正恩委員長に母コ・ヨンヒ氏はバスケットボールをすれば背が高くなると話したという。叔母の高氏は「(金正恩が)バスケットボールを抱いて寝たりもした」と伝えた。

金正恩委員長の同窓生でポルトガル外交官の息子だったジョエル・ミカエロ氏はテレグラフのインタビューで「私たちは午後にバスケットボールを楽しんだり、NBAリーグをテレビで見ながら多くの時間を過ごした」と話した。ゲーム機器プレイステーションでもバスケットボールゲームを楽しんだ。ミカエロ氏によると、金正恩委員長はジャッキー・チェンとジェームズ・ボンドの映画が好きで、北朝鮮の国歌をいつもかけていたという。



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