北の「ノーショー」パレード…助演を引き受けた屈辱の韓国統一部
その根は1998年の金大中(キム・デジュン)政権発足からと言える。対北朝鮮太陽政策の推進は、以前の政権までの中道・保守性向路線とは違った。同年11月の金剛山(クムガンサン)観光船初出港と2000年6月の最初の南北首脳会談は南北関係を変えた。金大中政権の初代の康仁徳(カン・インドク)長官から現在の趙明均(チョ・ミョンギュン)長官まで計14人が16回(林東源・丁世鉉長官はそれぞれ2回就任)を経てその溝は深まった。金大中・盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の10年と李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権の9年は対照的だ。先月には特定性向の外部専門家を動員して政策革新委員会という組織を設けた後、「開城(ケソン)工業団地稼働中断」(2016年2月)措置などを積弊として非難したりもした。部処名を掲げて長官が国民に報告した内容が2年も経たないうちに「反統一」という烙印を押されたのだ。
北の「ノーショー」パレード…助演を引き受けた屈辱の韓国統一部(2)
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