「神のお護りくださる我が国、万歳…韓国人よ、大韓をとわに保全せよ」。
昨年2月の札幌アジア競技大会で大韓民国女子アイスホッケー代表チームが涙を流しながら愛国歌(韓国の国歌)を歌った。初めて中国を破り、それも10回のシュートアウトの末に勝った喜びだった。1998年以降、韓国唯一の女子チームであり代表チームという辛酸のためか。一緒に胸が熱くなった。彼女たちは平昌(ピョンチャン)でも愛国歌を歌うことができるだろうか。
「女子アイスホッケーでは最初で最後のオリンピック出場というが、今が始まりであり、後日のことは誰にも分からない」。短くは数年、長ければ10年余り人生をかけたハン・スジン選手ような人にとって「メダル圏でもないから」(李洛淵首相)見ず知らずの人たちと一緒に10日間ほどオリンピック舞台でプレーしろというのは穏当だろうか。町内サッカー大会と見ているのだろうか。
「1試合でも出場できるだろうか…」。12年間も代表選手でありながら10回ほど試合に出たというセカンドGKのハン・ドヒ選手、そしてチームメートたちは「天下り」の北朝鮮選手を受け入れられるだろうか。
「大韓民国代表になるつもりはあるか」。こうした祖国の誘いに応じた、事実上は米国人でカナダ人でもある選手たちが、現在家族と知人が暮らす国を威嚇する北朝鮮も代表しなければいけないという事実にうなずくだろうか。
「私に北朝鮮選手を起用しろという圧力がないことを望む」。マレー監督の言葉だ。もしあればどうなるのか。なぜ団体競技のうちアイスホッケー、その中でも女子チームだけが取り上げられるのか。成績のためか、他の背景があるのか。
疑問が相次ぐ中で徐々に高まる声があった。「機会は平等であり、過程は公正であり、結果は正しいはずだ」。本当に人が先なのか。
平昌オリンピックが北朝鮮と関係改善の契機ということには共感する。権力の意志はさらに自国民の涙にもかかわらず、数人の北朝鮮選手に加えて北朝鮮体制を宣伝する「美女応援団」など数百人がさらに来ることも受け入れるという。気持ちは分かる。とはいえ単一チームというショーまでしなければいけないのだろうか。それが最善なのか。核武装国という北朝鮮の本質は変わる兆しがないが、私たちはさらなる分裂に直面している。政治過剰だ。
2011年に南アフリカのダーバンで平昌が開催地に決まった時、現場にいた。「平壌(ピョンヤン)ではなくて?」という質問を受けたりした。聞き慣れていない地名だったからだ。当時は首を振ったが、今は分からない。通常、五輪まで残り20日余りとなった時点には太極戦士の汗と涙、情熱と挑戦を称賛する。今はすべて平壌の話だ。
コ・ジョンエ/中央SUNDAY政治エディター
昨年2月の札幌アジア競技大会で大韓民国女子アイスホッケー代表チームが涙を流しながら愛国歌(韓国の国歌)を歌った。初めて中国を破り、それも10回のシュートアウトの末に勝った喜びだった。1998年以降、韓国唯一の女子チームであり代表チームという辛酸のためか。一緒に胸が熱くなった。彼女たちは平昌(ピョンチャン)でも愛国歌を歌うことができるだろうか。
「女子アイスホッケーでは最初で最後のオリンピック出場というが、今が始まりであり、後日のことは誰にも分からない」。短くは数年、長ければ10年余り人生をかけたハン・スジン選手ような人にとって「メダル圏でもないから」(李洛淵首相)見ず知らずの人たちと一緒に10日間ほどオリンピック舞台でプレーしろというのは穏当だろうか。町内サッカー大会と見ているのだろうか。
「1試合でも出場できるだろうか…」。12年間も代表選手でありながら10回ほど試合に出たというセカンドGKのハン・ドヒ選手、そしてチームメートたちは「天下り」の北朝鮮選手を受け入れられるだろうか。
「大韓民国代表になるつもりはあるか」。こうした祖国の誘いに応じた、事実上は米国人でカナダ人でもある選手たちが、現在家族と知人が暮らす国を威嚇する北朝鮮も代表しなければいけないという事実にうなずくだろうか。
「私に北朝鮮選手を起用しろという圧力がないことを望む」。マレー監督の言葉だ。もしあればどうなるのか。なぜ団体競技のうちアイスホッケー、その中でも女子チームだけが取り上げられるのか。成績のためか、他の背景があるのか。
疑問が相次ぐ中で徐々に高まる声があった。「機会は平等であり、過程は公正であり、結果は正しいはずだ」。本当に人が先なのか。
平昌オリンピックが北朝鮮と関係改善の契機ということには共感する。権力の意志はさらに自国民の涙にもかかわらず、数人の北朝鮮選手に加えて北朝鮮体制を宣伝する「美女応援団」など数百人がさらに来ることも受け入れるという。気持ちは分かる。とはいえ単一チームというショーまでしなければいけないのだろうか。それが最善なのか。核武装国という北朝鮮の本質は変わる兆しがないが、私たちはさらなる分裂に直面している。政治過剰だ。
2011年に南アフリカのダーバンで平昌が開催地に決まった時、現場にいた。「平壌(ピョンヤン)ではなくて?」という質問を受けたりした。聞き慣れていない地名だったからだ。当時は首を振ったが、今は分からない。通常、五輪まで残り20日余りとなった時点には太極戦士の汗と涙、情熱と挑戦を称賛する。今はすべて平壌の話だ。
コ・ジョンエ/中央SUNDAY政治エディター
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