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【時視各角】北朝鮮が来るからといって興奮してはならない理由

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
第1次大戦が真っ最中だった1914年12月、ベルギーの激戦地イーペル。英国軍とドイツ軍は100メートル程度離れた塹壕の中で凄惨な戦闘を続けていった。そうするうちにクリスマス前日、砲火が止まるとあるドイツ兵士がキャロル『きよしこの夜』を歌った。歌を聞いた英国軍もキャロルで答えた。敬けんな雰囲気が流れると両側の兵士たちは中間地帯に這って出て協定を結ぶ。25日クリスマス一日は戦いを止めることに。その有名な「クリスマス休戦」だ。クリスマスになると両国の兵士たちは独特な行事を行う。敵とのサッカー試合だった。試合が始まると憎しみは消えていった。政治的対立を解決するうえでスポーツのようなものがないということを証明する実話だ。

このような潜在力のおかげでスポーツは外交手段として愛用されてきた。1972年、米中国交正常化に火をつけたのも卓球だった。一年前、名古屋国際卓球大会の時、競技場行きの車を逃した米国選手を中国選手団がバスに乗せる。無事に到着した彼はバスから降りて「中国に行ってみたい」と話す。これを伝え聞いた中国側はすぐに米選手団を招請した。米中間壁を崩した「ピンポン外交」はこのように始まった。

このようなスポーツ外交が愛用された代表的な場所が韓半島(朝鮮半島)だ。スポーツの順位競争に没頭していた東西ドイツと違い、韓国と北朝鮮は単一チームを設け、国際競技に共同入場するために粘り強く努力した。そのおかげで南北選手団は2000年シドニーオリンピック(五輪)から9回も共同入場を果たす。単一チームを設けて優秀な成績をあげたのも3度だ。特に、1991年、千葉世界卓球選手権大会では玄静和(ヒョン・ジョンファ)と李芬姫(リ・ブンヒ)組が世界最強という中国チームを抑えて優勝を獲得して深い感動を与えた。選手やコーチはもちろん、監視していた両側機関員まで涙をぼろぼろ流した。だが、我々が忘れてはならないのは、このようにスポーツ交流が多かったにも北朝鮮の挑発はますます深刻化してきたという事実だ。


きょう、板門店(パンムンジョム)では北朝鮮の平昌五輪の参加を議論する南北高位級会談が開かれる。これを契機に共同入場や単一チームの構成が実現すれば、韓半島全体が歓呼することに間違いない。現政権はこのような結果を引き出して北核問題解決の起爆剤にするだろう。実際に、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は昨年6月、茂朱(ムジュ)世界テコンドー大会で「平和を作ってきたスポーツの力を信じる」として「平昌に北朝鮮の応援団も参加して南北和解の転機を作れば良いだろう」という考えを示した。

だが、これは事案の本質を分からないから言えることだ。スポーツには政治状況そのものを変える力がない。米中関係の正常化もピンポン外交が成し遂げたわけではない。対話の出口を開くのに卓球が使われただけだ。当時、米中はますます強力になるソ連を牽制するために力を合わせる必要があった。

北朝鮮の平昌五輪参加だけで韓半島の安保状況が大きく改善されることを期待すれば、それは勘違いだ。2006年10月は韓国と北朝鮮が2年後の北京五輪の共同入場を深々と議論するほど雰囲気が良い時点だった。だが、北朝鮮は最初の核実験を強行する。軍事的利益のためには韓国とのスポーツ協力程度は問題ないという意味だ。

だから北朝鮮の平昌五輪の参加だけで大きな転機を夢見てはならない。大きな期待が崩れると、挫折も大きい。いくら単一チームが金メダルを獲得しても北核は消えないというのが厳しい現実だ。

昨年、茂朱世界テコンドー大会に来た北朝鮮国際オリンピック委員会(IOC)の張雄(チャン・ウン)委員は単一チーム構成の可能性を尋ねる質問に否定的に答えた。「スポーツの上に政治がある」と。平昌五輪でいかなる感動が演出されても過度に興奮してはならない理由がここにある。

ナム・ジョンホ/論説委員



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