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【取材日記】日本が星野氏を送る方法

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

4日に死去した星野仙一元楽天イーグルス監督

「最後まで彼は闘将だった」。

今年最初の週末、彼にはこのような賛辞が続いた。4日に死去した星野仙一元楽天イーグルス監督(70)が主人公だ。我々には「中日時代の宣銅烈(ソン・ドンリョル)の師匠」であり、2008年の北京オリンピック(五輪)で「金メダル以外は必要ない」と声を高めて韓国に2度も屈した悲運のアイコンだ。楽天球団は6日、「星野氏は1年半前にすい臓がんが判明、2017年12月末より病状が悪化し、息を引き取った」と伝えた。日本の有力日刊紙5紙は7日付1面に写真を載せて主要記事として扱った。「打倒巨人」を叫びながら星野氏があれほど越えようとした読売ジャイアンツの親会社、読売新聞も同じだった。朝日新聞1面の「天声人語」の主人公も星野氏だった。1969年から14年間にわたり中日のエースとして残した成績は146勝121敗34セーブ。監督としては中日、阪神、楽天の3チームを率いて1181勝1043敗という成績を残した。

星野氏は自らを「超二流」と呼んだという。一流ではなく、それでも二流ともいえない存在という意味だった。実際、星野氏はトップではなかった。選手または監督として日本シリーズ優勝を経験したのは66歳だった2013年の1回だけだ。日本メディアが星野氏に熱狂するのは強敵にも立ち向かっていく闘志のためだ。


50年前の68年の新人ドラフトで自分に背を向けた無敵ジャイアンツを打倒するのが生涯の目標だった。「1球1球に気合いを入れて投げた」という自身の言葉のように、ジャイアンツを相手に通算35勝31敗をマークし、「巨人キラー」になった。

監督としての星野氏はイバラの道を避けなかった。2010年10月に東北地方が本拠地の万年弱体チームである楽天の監督を引き受けた。そして東日本大震災(2011年3月)で廃墟になった地域住民の期待に応えて2013年に日本一になった。相手は宿敵の読売ジャイアンツだった。

一流ではなく二流であっても英雄にするのが日本社会だ。文化芸術・スポーツ界で日本を輝かせた人物に首相が授与する「国民栄誉賞」も同じだ。77年の最初の受賞者の王貞治氏をはじめ24人(一度は団体が受賞)がその賞を受けるたびに国民的な祝福を受けた。そして国民を一つにまとめる力になった。

ブラックリスト、ホワイトリスト論争で文化芸術界までが分裂した韓国の現実を考えると、日本の英雄づくりを単に大げさなものとして見ることはできない。

ソ・スンウク/日本支社長



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