韓国大邱市(テグシ)教育庁が日本による植民地時代に女子生徒が書いた日本語の日記帳を公開し、6月にオープンする大邱教育博物館に日記帳を展示することにした。
大邱市教育庁は当時の大邱公立女子高等普通学校(現慶北女子高)の女子生徒の日記帳を複製し、大邱教育博物館に展示することにしたと2日、明らかにした。
『女学生日記』と題した日記帳は大邱公立女子高等普通学校に通っていた女子生徒が1937年2月18日から12月12日まで書いたもので、当時の生徒の年齢は15-16歳と推定される。日記は日本語で書かれていたが、当時の学校が日本語の常用を強制した結果と解釈される。
日記帳には、皇国臣民化教育で混乱して不安を感じている当時の生徒たちの姿が表れている。日本軍兵士慰霊塔の忠霊塔を参拝した内容と共に「何をしても心が落ち着きません」とも書かれていた。
また、敬語で日記を書いて毎日担任教師に提出し、担任教師は日記を検閲しながら生徒の勉学、言動、生活を観察していたとみられると、市教育庁は伝えた。
大邱市教育庁の関係者は「生徒たちの日記は日帝植民支配政策下の教育がどのように展開されるかを見せていて、原本でなくても内容だけでも展示する価値がある」と述べた。
大邱市教育庁は当時の大邱公立女子高等普通学校(現慶北女子高)の女子生徒の日記帳を複製し、大邱教育博物館に展示することにしたと2日、明らかにした。
『女学生日記』と題した日記帳は大邱公立女子高等普通学校に通っていた女子生徒が1937年2月18日から12月12日まで書いたもので、当時の生徒の年齢は15-16歳と推定される。日記は日本語で書かれていたが、当時の学校が日本語の常用を強制した結果と解釈される。
日記帳には、皇国臣民化教育で混乱して不安を感じている当時の生徒たちの姿が表れている。日本軍兵士慰霊塔の忠霊塔を参拝した内容と共に「何をしても心が落ち着きません」とも書かれていた。
また、敬語で日記を書いて毎日担任教師に提出し、担任教師は日記を検閲しながら生徒の勉学、言動、生活を観察していたとみられると、市教育庁は伝えた。
大邱市教育庁の関係者は「生徒たちの日記は日帝植民支配政策下の教育がどのように展開されるかを見せていて、原本でなくても内容だけでも展示する価値がある」と述べた。
この記事を読んで…