旧日本軍慰安婦被害者のイ・ギジョンさんの告別式が13日、忠清南道唐津(チュンチョンナムド・タンジン)市庁広場で行われた。
告別式には安熙正(アン・ヒジョン)忠清南道知事をはじめ、市民5000人余りが参加した。唐津市民葬で執り行われた今回の告別式は、故人に対する黙祷、略歴紹介、追悼の挨拶、献花の順に進められた。
安知事は追悼の挨拶を通じて「歴史的犯罪は政治・外交的妥協の対象になりえない」とし「イ・ギジョンさんを見送るこの席が、まだ解決できていない日本軍慰安婦被害の歴史と人権問題の解決に向けた誓いの場となるだろう」と強調した。
イさんは18歳だった年に日本軍慰安婦としてシンガポールに強制徴用された後、翌年ミャンマーに連行されてさまざまな苦難を経験し、解放後は軍艦に乗って釜山(プサン)に帰国した。その後、2006年に韓国政府から慰安婦被害者として公式に認められた。
告別式が終わり、故人の遺体は唐津平和の少女像と生家を経て天安(チョナン)「国立望郷の丘」に安置された。イさんの死亡によって、国内外に元慰安婦として登録された生存者は33人に減った。
告別式には安熙正(アン・ヒジョン)忠清南道知事をはじめ、市民5000人余りが参加した。唐津市民葬で執り行われた今回の告別式は、故人に対する黙祷、略歴紹介、追悼の挨拶、献花の順に進められた。
安知事は追悼の挨拶を通じて「歴史的犯罪は政治・外交的妥協の対象になりえない」とし「イ・ギジョンさんを見送るこの席が、まだ解決できていない日本軍慰安婦被害の歴史と人権問題の解決に向けた誓いの場となるだろう」と強調した。
イさんは18歳だった年に日本軍慰安婦としてシンガポールに強制徴用された後、翌年ミャンマーに連行されてさまざまな苦難を経験し、解放後は軍艦に乗って釜山(プサン)に帰国した。その後、2006年に韓国政府から慰安婦被害者として公式に認められた。
告別式が終わり、故人の遺体は唐津平和の少女像と生家を経て天安(チョナン)「国立望郷の丘」に安置された。イさんの死亡によって、国内外に元慰安婦として登録された生存者は33人に減った。
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