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<人生と追憶>サムスン世界トップの礎石を築いた「半導体マン」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

1990年3月、ソウル大冠岳(クァナク)キャンパス湖巌生活館の竣工式を終えた関係者が建物を見回っている。右から姜晋求(カン・ジング)元サムスン電子会長、李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン会長、鄭元植(チョン・ウォンシク)元文教部長官。(写真=中央フォト)

「今日のサムスン電子を築いた最大の功労者だ」(李健熙サムスン会長)

「不毛の大韓民国の電子産業を世界的なレベルに発展させた開拓者的な経営者だった」(サムスン電子の追悼の言葉)

姜晋求(カン・ジング)元サムスン電子・サムスン電機会長が19日午後、死去した。90歳。故人はサムスン電子の第1世代専門経営者で、韓国電子業界の生き証人であり、半導体産業の軸を築いた人物と評価される。


慶尚北道栄州(ヨンジュ)で生まれた姜元会長は大邱(テグ)師範学校とソウル大電子科を卒業した。社会生活は放送業界から始まった。KBS(韓国放送公社)と米第8軍放送局を経て1963年にJTBCの前身の東洋放送(TBC)に入社し、中継・送出技術の国産化を牽引した。遺族は中央日報との電話で「故人は清渓川(チョンゲチョン)で部品を買い、自分で放送の資機材を作ったりしていた」と振り返った。

サムスン創業者の故李秉チョル(イ・ビョンチョル)前会長の信頼を得たのもこの頃だ。李健熙サムスン会長が96年に出した回顧録『サムスン電子の神話とその秘訣』には、「祖先が(姜会長の)誠実さと勤勉性を認めてサムスン電子社長に抜てき、任命した。サムスン電子に来ると、赤字だった会社を一気に黒字に転換し、総合電子会社に育成するという強い信念で事業を拡大していった」と書かれている。

73年にサムスン電子の常務となった姜元会長は3カ月後に代表取締役専務に、その9カ月後には社長に昇進した。電子工学の知識を生かして国内で初めてカラーテレビおよび電子レンジの開発を主導した。

姜元会長は82年、サムスン半導体通信社長を務め、翌年に世界3番目に64kDRAMを出した。サムスン電子側は20日、追悼の言葉で「姜元会長は荒野だった器興(キフン)の半導体団地を長靴を履いて見回り、現場作業者を激励した」とし「研究技術陣とともに夜を明かしてメモリー半導体事業が世界1位に飛躍する礎石を築いた」と伝えた。

2000年12月に健康の問題で経営の一線から退いた姜元会長は、サムスンが役職員礼遇のために設けた「名誉の殿堂」に入った唯一の経営者でもある。在職中に「誇らしいサムスン人賞」を2回以上受賞した役職員が対象となる殿堂入りは、95年の姜元会長の後は誰もいない。

葬儀はサムスンソウル病院で営まれ、出棺は23日午前。



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