『日本を禁ずる』
金成ミン(キム ソンミン)著
出版:クルハンアリ
あなたにとってアトムは「宇宙少年アトム」か、「鉄腕アトム」か。「力強く飛ぶ宇宙少年アトム~」と、アニメの主題歌が口をついで出てくるなら、あなたは1970~80年代に幼年時代を送った可能性が高い。日本文化が正式に輸入される前、アトムは韓国人に“国籍ロンダリング”され、ハングルを刻み、サッカー球団の浦項(ポハン)アトムズのマスコットとして活躍したためだ。反面、98年の日本大衆文化開放以降の世代なら、ビデオで正式輸入された日本原作の『鉄腕アトム』を見た可能性が高い。
ソウル大で言論情報学を、東京大で学際情報学を学んだ著者・金成ミンは1945年から2004年まで禁制と欲望に綴られた韓国大衆文化史を覗き見ようと没頭する。解放以降、数十年間にわたって禁じられてきた日本文化がこの地でどのように抑圧を受けてきたかを、境界と越境というキーワードを通じてひとつひとつ分析している。北海道大教授の著者が日本語でまず書き(『戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで 』)韓国語に翻訳し直した本なので、韓流と嫌韓、親日と反日などの二分法にとらわれずに互いに向かい合う姿勢を保っている。
韓国内における日本文化の禁止と解体の歴史は、韓国現代史の屈曲とクモの巣のように絡まりあっている。解放直後が植民地時代の清算のために日本語や日本風など“倭色”を駆逐することに集中したのだとしたら、65年韓日国交正常化を基点に次第に中庸化され始める。日本の商品と文化が区分され、日帝ラジオを購入するのは大丈夫だがこれを通じて日本の歌が流れるのは禁止するというアイロニーが発生するというような感じだ。ここに、日本よりも北朝鮮および共産主義の禁止に熱を上げる米国の影響力が強くなり、韓日両者間の問題ではなく多者間の問題に拡大する。
政権ごとに固有の違いも存在する。李承晩(イ・スンマン)政権は反共と反日を絶妙に結合して民族主義を強固にしようとしたが、執権が長期化するにつれて政権に対する反感から政府が禁じる日本文学が人気を呼ぶという反作用が発生する。朴正熙(パク・チョンヒ)政権もやはり外部に対する禁止を内部に引き寄せ、国内大衆文化を統制する手段として活用しようとしたが、反発心だけが高まった。
電波の越境は逆説的に日本文化が排除から否定のメカニズムに変貌するよう助長する。釜山(プサン)では日本の放送を直接視聴する世帯が増え、ソウルでは新しく開局した放送各社が番組制作のために日本の放送をわい曲・模倣したコンテンツを作り、これ以上排斥を貫くことができないことに気づいたためだ。ただし、それが日本のもののように見えないように努力しただけだ。米国産に化けた『タイガーマスク』や兜甲児がセドリになった『マジンガーZ』の主人公は、一方では遮断し一方では学習させる集団経験の数多くの例の一つだ。
結局、反日フレームから開放された金大中(キム・デジュン)政権がIMF体制を契機に日本の商品と文化に門戸を全面開放しながら、日本を見つめる視線そのものにも根本的な変化が訪れることになったというのが著者の主張だ。禁止が解体される過程の分析はち密だ。しかし、それによって形成された今の文化を理解するには、本で扱った2004年以降10年の空白が大きすぎる。この時期に起きた変化も、どの時期にも匹敵するほど多岐多端だからだ。政府の方針ではなく各自の好みによって各文化商品を消費するのは個人の権利であり自由だ。私たちも知らないうちに内在化された日本文化コードを理解するのは、韓国の文化を楽しむときに役に立つことだろう。
金成ミン(キム ソンミン)著
出版:クルハンアリ
あなたにとってアトムは「宇宙少年アトム」か、「鉄腕アトム」か。「力強く飛ぶ宇宙少年アトム~」と、アニメの主題歌が口をついで出てくるなら、あなたは1970~80年代に幼年時代を送った可能性が高い。日本文化が正式に輸入される前、アトムは韓国人に“国籍ロンダリング”され、ハングルを刻み、サッカー球団の浦項(ポハン)アトムズのマスコットとして活躍したためだ。反面、98年の日本大衆文化開放以降の世代なら、ビデオで正式輸入された日本原作の『鉄腕アトム』を見た可能性が高い。
ソウル大で言論情報学を、東京大で学際情報学を学んだ著者・金成ミンは1945年から2004年まで禁制と欲望に綴られた韓国大衆文化史を覗き見ようと没頭する。解放以降、数十年間にわたって禁じられてきた日本文化がこの地でどのように抑圧を受けてきたかを、境界と越境というキーワードを通じてひとつひとつ分析している。北海道大教授の著者が日本語でまず書き(『戦後韓国と日本文化――「倭色」禁止から「韓流」まで 』)韓国語に翻訳し直した本なので、韓流と嫌韓、親日と反日などの二分法にとらわれずに互いに向かい合う姿勢を保っている。
韓国内における日本文化の禁止と解体の歴史は、韓国現代史の屈曲とクモの巣のように絡まりあっている。解放直後が植民地時代の清算のために日本語や日本風など“倭色”を駆逐することに集中したのだとしたら、65年韓日国交正常化を基点に次第に中庸化され始める。日本の商品と文化が区分され、日帝ラジオを購入するのは大丈夫だがこれを通じて日本の歌が流れるのは禁止するというアイロニーが発生するというような感じだ。ここに、日本よりも北朝鮮および共産主義の禁止に熱を上げる米国の影響力が強くなり、韓日両者間の問題ではなく多者間の問題に拡大する。
政権ごとに固有の違いも存在する。李承晩(イ・スンマン)政権は反共と反日を絶妙に結合して民族主義を強固にしようとしたが、執権が長期化するにつれて政権に対する反感から政府が禁じる日本文学が人気を呼ぶという反作用が発生する。朴正熙(パク・チョンヒ)政権もやはり外部に対する禁止を内部に引き寄せ、国内大衆文化を統制する手段として活用しようとしたが、反発心だけが高まった。
電波の越境は逆説的に日本文化が排除から否定のメカニズムに変貌するよう助長する。釜山(プサン)では日本の放送を直接視聴する世帯が増え、ソウルでは新しく開局した放送各社が番組制作のために日本の放送をわい曲・模倣したコンテンツを作り、これ以上排斥を貫くことができないことに気づいたためだ。ただし、それが日本のもののように見えないように努力しただけだ。米国産に化けた『タイガーマスク』や兜甲児がセドリになった『マジンガーZ』の主人公は、一方では遮断し一方では学習させる集団経験の数多くの例の一つだ。
結局、反日フレームから開放された金大中(キム・デジュン)政権がIMF体制を契機に日本の商品と文化に門戸を全面開放しながら、日本を見つめる視線そのものにも根本的な変化が訪れることになったというのが著者の主張だ。禁止が解体される過程の分析はち密だ。しかし、それによって形成された今の文化を理解するには、本で扱った2004年以降10年の空白が大きすぎる。この時期に起きた変化も、どの時期にも匹敵するほど多岐多端だからだ。政府の方針ではなく各自の好みによって各文化商品を消費するのは個人の権利であり自由だ。私たちも知らないうちに内在化された日本文化コードを理解するのは、韓国の文化を楽しむときに役に立つことだろう。
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