25日午後に訪れたワシントンDCリンカーン記念館前の広場。リンカーン元大統領の巨大な銅像が見えるこの広場に2つの集会が開かれた。片方の集会は反トランプ指向で、難民と同性愛者を支持する50人余りが私たちを見て「私たちはあなたを愛します!」と叫んだ。難民も、同性愛者でもないがそれほど気持ちが悪くなかった。自身の信念のために日曜日午後に集まったジャックさんと彼の素敵な銀髪の夫人、22歳のフェミニスト男子学生と彼が連れてきた伴侶犬までみんな活気にあふれた。「人種差別はごみ箱にでも与えてしまえ」などのスローガンを見ると、昨年冬のソウルを盛り上げた集会のLEDの灯りでもプレゼントしたい気持ちだった。
そして、彼らから後ろに約100メートル離れているところには、正確に反対性向の人々が「難民は米国から出て行け」などのスローガンを叫んでいた。彼らの方に向かおうとすると、ジャックさんは「私ならあそこには行かない。危ない」と話した。だが、驚くべきだったのはその反対集会の秩序正しい姿だった。ジャックさんは「あの子はナチをロールモデルにして固いのよ」といったが、彼らは自身のスローガンを静かに繰り返すだけだった。たびたびこの2つの集会の参加者がお互いに向かって「恥ずかしいと思え」と叫んだが、彼らから約30メートル離れて状況を見守っていた警察がそっと微笑むだけで騒ぎはなかった。この集会を見下ろしているリンカーン銅像。左手はげんこつを握って右手は手のひらを見せている。やさしさと厳しさを共に表わすためだと、私たちを引率した国務省の関係者は説明した。
リンカーン元大統領は南北戦争を勝利に導いた直後である1865年のある日、自分の支持者の激しい反対を押し切って南軍指導者を呼び集めた。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、今日の大統領専用機エアフォースワンのようなリバークィーン号で彼らに会って報復はないと約束した。内戦後の内紛を防ぐための措置だった。リンカーン氏をこのように導いた人がフランシス・プレストン・ブレア氏だ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が現在泊まっているブレアハウスのその「ブレア」だ。リバークイーン会議を聞いたリンカーン氏の支持者は怒った。
しかし、リンカーン氏とブレア氏の鋭い洞察力のおかげで今日の米合衆国がある。だが、内戦が終わったからといって内紛まで消えたわけではない。25日の集会現場は物語っている。内紛のない社会は教科書にも出ない理想であるだけで、内紛と共に生きていくことが重要だと。お互いが違いを認め、論争はする一方で憎しみを与えないのが成熟した社会だと。その成熟のためにはリスクも負担する指導者が選択肢ではない必須だと。
<ワシントンで>チョン・スジン/月刊中央記者
そして、彼らから後ろに約100メートル離れているところには、正確に反対性向の人々が「難民は米国から出て行け」などのスローガンを叫んでいた。彼らの方に向かおうとすると、ジャックさんは「私ならあそこには行かない。危ない」と話した。だが、驚くべきだったのはその反対集会の秩序正しい姿だった。ジャックさんは「あの子はナチをロールモデルにして固いのよ」といったが、彼らは自身のスローガンを静かに繰り返すだけだった。たびたびこの2つの集会の参加者がお互いに向かって「恥ずかしいと思え」と叫んだが、彼らから約30メートル離れて状況を見守っていた警察がそっと微笑むだけで騒ぎはなかった。この集会を見下ろしているリンカーン銅像。左手はげんこつを握って右手は手のひらを見せている。やさしさと厳しさを共に表わすためだと、私たちを引率した国務省の関係者は説明した。
リンカーン元大統領は南北戦争を勝利に導いた直後である1865年のある日、自分の支持者の激しい反対を押し切って南軍指導者を呼び集めた。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、今日の大統領専用機エアフォースワンのようなリバークィーン号で彼らに会って報復はないと約束した。内戦後の内紛を防ぐための措置だった。リンカーン氏をこのように導いた人がフランシス・プレストン・ブレア氏だ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が現在泊まっているブレアハウスのその「ブレア」だ。リバークイーン会議を聞いたリンカーン氏の支持者は怒った。
しかし、リンカーン氏とブレア氏の鋭い洞察力のおかげで今日の米合衆国がある。だが、内戦が終わったからといって内紛まで消えたわけではない。25日の集会現場は物語っている。内紛のない社会は教科書にも出ない理想であるだけで、内紛と共に生きていくことが重要だと。お互いが違いを認め、論争はする一方で憎しみを与えないのが成熟した社会だと。その成熟のためにはリスクも負担する指導者が選択肢ではない必須だと。
<ワシントンで>チョン・スジン/月刊中央記者
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