2007年9月12日、突然テレビの速報が始まると彼は辞任書を朗読し逃げるように首相を辞めた。第1次安倍政権が1年もたたずに崩れる瞬間だった。同年7月の参議院選挙惨敗が直接的契機だったが、相次ぐ政策失敗の末に首相職に耐えられなくない自ら廃族の道を選択したのだ。彼の失敗は未熟さから始まった。首相2人を輩出し父親は外相を務めた政治名門の家柄なので期待は高かった。だが側近を大挙登用し「お友達内閣」と揶揄された。この結果経済よりも右傾化イシューに重点を置き、国民と野党との疎通に失敗して政権は墜落した。
その後福田康夫氏、麻生太郎氏が安倍氏の後に続いたが、自民党の無能に嫌気がさした日本国民は民主党を選択した。だがこの政権もやはり3年天下で終わった。理想は高かったが非現実的な政策実験ばかり行い国民は背を向けた。この時戻ってきた自民党のリーダーがまさに安倍氏だ。
【コラム】韓国のJノミクス、アベノミクスを跳び越えろ(2)
その後福田康夫氏、麻生太郎氏が安倍氏の後に続いたが、自民党の無能に嫌気がさした日本国民は民主党を選択した。だがこの政権もやはり3年天下で終わった。理想は高かったが非現実的な政策実験ばかり行い国民は背を向けた。この時戻ってきた自民党のリーダーがまさに安倍氏だ。
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