「みなさんは永遠の命がほしくないですか」。26日午後1時、ソウル・芸術の殿堂ハンガラム美術館の廊下で突然質問が投げられた。重い質問を投げたのは漫画『銀河鉄道999』の作家松本零士(79)だ。1977年の『銀河鉄道999』発表から40周年を記念して展示会を開き初めて韓国を訪れた。
松本の代表作である『銀河鉄道999』は当時としては遠い未来である2221年を背景に、星野鉄郎が永遠に生きる「機械の体」になろうと助力者であるメーテルとともに銀河鉄道999に乗りアンドロメダに向かう漫画だ。列車が途中で停車する各惑星の衝撃的な様子は「永遠の命と人間らしさ」に対する奥深い質問を投げかけ、漫画を超える哲学的作品という評価を受けた。日本はもちろん韓国でも大人気を博した。
1938年生まれの松本は、「私は落ちた弾丸を拾いながら遊んだこともあり、戦場で銃に撃たれたこともある。そうした環境で『人は命が限られているから一生懸命に生きる』と考えるようになり、これを『銀河鉄道999』に反映した」と話した。
1977年に日本の週刊漫画雑誌「少年キング」に初めて連載された『銀河鉄道999』は翌78年にフジテレビでアニメーション化され爆発的人気を得た。韓国でも1982年と96年(MBC)、2003年(MTV)、2008年(EBS)の4回放映された。
松本は9歳の時から漫画を描き始め、16歳の時である54年に「蜜蜂の冒険」でデビューした。松本は「機械工学生になりたかったが生計のために漫画を描いた。福岡で貧しい生活をしている時に東京で働いてみようと考えて東京行きの列車に乗ることになったが、その汽車が私にとっては銀河鉄道999だった。列車がトンネルを通過する時に押し寄せる光を見て宇宙を感じた」と話した。幼いころから宇宙に関心が多かったため彼の作品は宇宙を背景にしている。『1000年女王』(1980)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974)、『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1977)などが代表的だ。
韓国で『銀河鉄道999』40周年記念展示会…松本零士氏訪韓(2)
松本の代表作である『銀河鉄道999』は当時としては遠い未来である2221年を背景に、星野鉄郎が永遠に生きる「機械の体」になろうと助力者であるメーテルとともに銀河鉄道999に乗りアンドロメダに向かう漫画だ。列車が途中で停車する各惑星の衝撃的な様子は「永遠の命と人間らしさ」に対する奥深い質問を投げかけ、漫画を超える哲学的作品という評価を受けた。日本はもちろん韓国でも大人気を博した。
1938年生まれの松本は、「私は落ちた弾丸を拾いながら遊んだこともあり、戦場で銃に撃たれたこともある。そうした環境で『人は命が限られているから一生懸命に生きる』と考えるようになり、これを『銀河鉄道999』に反映した」と話した。
1977年に日本の週刊漫画雑誌「少年キング」に初めて連載された『銀河鉄道999』は翌78年にフジテレビでアニメーション化され爆発的人気を得た。韓国でも1982年と96年(MBC)、2003年(MTV)、2008年(EBS)の4回放映された。
松本は9歳の時から漫画を描き始め、16歳の時である54年に「蜜蜂の冒険」でデビューした。松本は「機械工学生になりたかったが生計のために漫画を描いた。福岡で貧しい生活をしている時に東京で働いてみようと考えて東京行きの列車に乗ることになったが、その汽車が私にとっては銀河鉄道999だった。列車がトンネルを通過する時に押し寄せる光を見て宇宙を感じた」と話した。幼いころから宇宙に関心が多かったため彼の作品は宇宙を背景にしている。『1000年女王』(1980)、『宇宙戦艦ヤマト』(1974)、『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1977)などが代表的だ。
韓国で『銀河鉄道999』40周年記念展示会…松本零士氏訪韓(2)
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