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【写真】戦争の始まりと終わり、真珠湾と広島

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

日本軍の真珠湾奇襲当時に爆撃されたヒッカム空軍基地

広島爆撃当時のキノコ雲の様子

日本の真珠湾攻撃を扱った映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年)クライマックスシーン。真珠湾奇襲攻撃の責任者・山本五十六提督は攻撃1回目が成功した暗号「トラ・トラ・トラ」の打電を受けて独りごちる。「われわれは眠れる巨人を叩き起こしてしまったのかもしれない。その巨人を怒らせてしまったのではないか」。

1941年12月第一日曜日だった7日午前7時55分(現地時間)。日本がハワイ真珠湾の米太平洋艦隊司令部を空母6隻に載せてきた飛行機で奇襲攻撃を仕掛けた。2403人が死亡して1178名が負傷した。戦艦「カリフォルニア」「アリゾナ」など7隻が沈没した。航空母艦の主力はハワイを離れていた。日本のインドシナ進出に対し、米国は石油禁輸措置など経済封鎖を取ったが、米国をそのままにしていてはアジア占領という目標は達成できないというのが日本の判断だった。

真珠湾攻撃から3日後、米国は第2次世界大戦の主導国として介入した。破竹の勢いで東南アジアに進撃していた日本は、米国との戦闘で劣勢に立たされながらも降参せず、45年4月沖縄に上陸した米軍がB-29で東京を焦土化しても戦意は高まった。6月にトルーマン米大統領は、戦争が終結するためは少なくとも25万人の米軍が犠牲となり、戦争は46年11月まで続くとの報告を受ける。日本が7月26日に連合国の最後通告「ポツダム宣言」を握りつぶすと、米国は8月6日に広島に15キロトン級の原爆「リトルボーイ」を、3日後長崎に21キロトン級の原爆「ファットマン」を投下した。それぞれ14万人、7万人が犠牲になった。15日、天皇の降伏宣言に続き、9月2日に東京湾に停泊したミズーリ艦上でマッカーサーの主宰による降参調印式が行われた。戦後日本は連合軍最高司令部(GHQ)マッカーサーによって間接統治を受け、51年サンフランシスコ条約で主権を回復して日米安全保障条約を締結した。(中央SUNDAY第509号)

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