すしを握る手つきは職人によって違う。あまり握りすぎても良くなく、だからといって長い間手に持っていてはいけないという共通点以外は。「KOJIMA」のすし職人パク・ギョンジェ氏は素早く何回か握って形を整える反面、「SUSHI CHO」のハン・ソクウォン氏はぶっきらぼうに1、2回握っただけで終わりだ。写真はパク・ギョンジェ氏の手。
「KOJIMA」パク・ギョンジェ氏。1996~1998年、日本の飲食店、1999~2011年新羅ホテル「有明」、2004年東京「きよ田」に3カ月研修、日本公認酒ソムリエ修了、2011~2014年清潭洞「SUSHI CHOHI/超喜」、2014年~現在は清潭洞「KOJIMA」。
値段だけが高いのではなく、味も名のある日本のすしやに引けを取らない。このように韓国で日本に匹敵するようなすしを食べることができるようになった背景には「有明」と「SUSHI CHO」が果たした役割は大きかった。「有明」は1979年オープン当時、札幌「すし善」と提携して大衆的なスタイルのすしを紹介した。その後、2003年日本3大すしやとして挙げられる銀座「きよ田」から森田氏を招いて高級すし時代が開かれた。日本の漫画『将太の寿司』にも登場した清潭洞「SUSHI CHOHI/超喜」のアン・ヒョジュ氏と清潭洞「KOJIMA」のパク・ギョンジェ氏、新沙洞(シンサドン)「SUSHI SUNSOO/善水」のチェ・ジフン氏など、島山(トサン)公園一帯の高級すし職人の中には「有明」出身者が多い。「SUSHI CHO」は「有明」から少し後の1985年にオープンした。高級化路線も「有明」に従った。「有明」が「きよ田」の森田氏を迎えたように、「SUSHI CHO」は銀座「久兵衛」の松本氏を招いた。松本氏は2008年から2013年に独立するまでの5年間、「SUSHI CHO」を導きながら同店を一気に最高級すしやに成長させた。新沙洞「SUSHI IN」のイ・ジヌク氏などが「SUSHI CHO」出身だ。
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