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【コラム】広開土王碑の憂鬱な真実…日帝改ざん説の全貌を把握すべき(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
広開土王碑(好太王碑)にもそのような事情が絡んでいる。大王碑は感動的だ。碑石は中国吉林省集安にある。鴨緑江(アムノッカン)に近い満州の地だ。広開土は満州だ。大王の諡号は単純だ。簡明さは破壊力を高める。韓国人観光客は痛快になる。大王碑は詩句を刻んだ柱だ。巨大な碑石はガラスの碑閣に閉じ込められている。中国は高句麗の地位を引き降ろした。碑石は長い歳月を眠っていた。世の中に知られたのは19世紀末。その主役は帝国日本の若い将校だった。その事実で憂うつになる。


酒匂景信(1850~1891)。彼は大王碑の実質的な発見者だ。酒匂は諜報将校だ。日本陸軍の参謀本部諜報員。1880年に彼は中国(清)に派遣される。北京で1年間中国語の勉強をした。彼の任務は中国北部と満州の測量と地図を描くこと。彼の活躍は疑いと挑発だ。彼は碑文の改ざん説のど真ん中にいる。だが、それは衝撃と刺激だ。彼は東アジアの歴史を激発させた。広開土王の偉大さが再照明された。




【コラム】広開土王碑の憂鬱な真実…日帝改ざん説の全貌を把握すべき(2)

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