中央SUNDAYは世界韓流学会と共同で世界中で人気を呼んでいる韓流の本質について分野別に集中分析した「韓流2.0時代」を掲載する。
2014年度の世界の整形統計を見ると、興味深い現象を見つけることができる。人口1人あたり全世界で整形手術を最も多く施行している場所が韓国だという事実だ。特に両あご整形手術と鼻の整形手術の施行数字は、人口の数に関係なく絶対的に韓国が世界1位を占めている。問題は、あごの手術と鼻の手術はいずれも米国や日本のような先進国では手術の難しさや失敗確率(再手術率)が高いという理由で敬遠しているというところにある。
日本のように保守的な国では、非手術の整形件数が手術の整形よりも3倍近く多い。唯一、韓国と似たような数で両あごと鼻の手術を多く行っている国は整形天国ブラジルだ。リオデジャネイロ公衆病院の整形科長マルセロ博士は「美人は生き延び、みにくい人々は死ぬという大衆哲学が流行している」と紹介する。リオカーニバルのデザイナーであるホアオ・トリンタ氏も「知識人たちだけが不幸を好み、貧しい人々は華やかさを好む」と断定する。ブラジルに蔓延する貧困と新たに登場した新自由主義経済が合致して、女性たちを危険な両あご整形手術と失敗率の高い鼻整形に追い込んでいるという説明だ。ところでこのようなブラジルの現象よりもワンランク上にいるのが韓国だ。それならば、なぜ韓国は両あご手術と鼻手術トップ国に発展したのだろうか。
◆韓国女性の顔と体の美学
豪州の人類学者アレクサンダー・エドモンズ氏は「ボディ資本(body capital)」の問題点として「美の民族主義」を挙げた。それによると資本主義が国際化して社会制度が変化しながら家父長的な男性優越主義がまず崩れる。さらに女性の権利が急成長しながら女性たちの教育の参加と社会参加が拡大する。ここまでは良い。しかし能力ではなく「美」を前面に出して出世しようとする女性や男性たちが登場しながら「体がまさに資本」という新しい類型の資本主義があらわれるということだ。体が資本の役割を果たしながら美人が醜い人よりも出世する確率が高くなることが当然視される。このような傾向は、ついに世界的に拡散しながら自身の体を直してでも社会的や経済的に出世しようとする人々がねずみ算的に多くなるほかはないという説明だ。
「身体の資本主義」のもとでは女性が家父長的な社会制度からの解放を迎える。これに合わせて職場を求めようとする時、自身の体が商品化されて他人から評価される事実も直感する。もちろん学歴やスペックも重要だが、自身の労働を買おうとする人が「体」も重く評価するという事実を自覚するようになるのだ。
ところで問題が残る。「体」という資本は基本的にすべての女性の体に「瑕疵」があるという前提のもとで市場の交換論理を展開するというところにある。「身長が5センチだけ高かったら」「体重が3キロだけ少なかったら」「鼻が1センチだけ高かったら」「額が少しだけふっくらと出ていたら」「目が二重まぶただったら」「あごが少しだけV字型になっていたら」などのような評価が社員を選ぶ審査委員たちの間で乱舞するという点だ。(中央SUNDAY第483号)
<韓流2.0時代>世界1位水準に上がった韓国の「整形手術」(2)
<韓流2.0時代>世界1位水準に上がった韓国の「整形手術」(3)
2014年度の世界の整形統計を見ると、興味深い現象を見つけることができる。人口1人あたり全世界で整形手術を最も多く施行している場所が韓国だという事実だ。特に両あご整形手術と鼻の整形手術の施行数字は、人口の数に関係なく絶対的に韓国が世界1位を占めている。問題は、あごの手術と鼻の手術はいずれも米国や日本のような先進国では手術の難しさや失敗確率(再手術率)が高いという理由で敬遠しているというところにある。
日本のように保守的な国では、非手術の整形件数が手術の整形よりも3倍近く多い。唯一、韓国と似たような数で両あごと鼻の手術を多く行っている国は整形天国ブラジルだ。リオデジャネイロ公衆病院の整形科長マルセロ博士は「美人は生き延び、みにくい人々は死ぬという大衆哲学が流行している」と紹介する。リオカーニバルのデザイナーであるホアオ・トリンタ氏も「知識人たちだけが不幸を好み、貧しい人々は華やかさを好む」と断定する。ブラジルに蔓延する貧困と新たに登場した新自由主義経済が合致して、女性たちを危険な両あご整形手術と失敗率の高い鼻整形に追い込んでいるという説明だ。ところでこのようなブラジルの現象よりもワンランク上にいるのが韓国だ。それならば、なぜ韓国は両あご手術と鼻手術トップ国に発展したのだろうか。
◆韓国女性の顔と体の美学
豪州の人類学者アレクサンダー・エドモンズ氏は「ボディ資本(body capital)」の問題点として「美の民族主義」を挙げた。それによると資本主義が国際化して社会制度が変化しながら家父長的な男性優越主義がまず崩れる。さらに女性の権利が急成長しながら女性たちの教育の参加と社会参加が拡大する。ここまでは良い。しかし能力ではなく「美」を前面に出して出世しようとする女性や男性たちが登場しながら「体がまさに資本」という新しい類型の資本主義があらわれるということだ。体が資本の役割を果たしながら美人が醜い人よりも出世する確率が高くなることが当然視される。このような傾向は、ついに世界的に拡散しながら自身の体を直してでも社会的や経済的に出世しようとする人々がねずみ算的に多くなるほかはないという説明だ。
「身体の資本主義」のもとでは女性が家父長的な社会制度からの解放を迎える。これに合わせて職場を求めようとする時、自身の体が商品化されて他人から評価される事実も直感する。もちろん学歴やスペックも重要だが、自身の労働を買おうとする人が「体」も重く評価するという事実を自覚するようになるのだ。
ところで問題が残る。「体」という資本は基本的にすべての女性の体に「瑕疵」があるという前提のもとで市場の交換論理を展開するというところにある。「身長が5センチだけ高かったら」「体重が3キロだけ少なかったら」「鼻が1センチだけ高かったら」「額が少しだけふっくらと出ていたら」「目が二重まぶただったら」「あごが少しだけV字型になっていたら」などのような評価が社員を選ぶ審査委員たちの間で乱舞するという点だ。(中央SUNDAY第483号)
<韓流2.0時代>世界1位水準に上がった韓国の「整形手術」(2)
<韓流2.0時代>世界1位水準に上がった韓国の「整形手術」(3)
この記事を読んで…