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親譲りの原爆の苦痛にも…被害者認定受けられない7600人=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

24日、陜川原爆被害者福祉会館2階の居間で原爆被害1世のおばあさんが窓の外を眺めている。このおばあさんは子どもに皮膚病が生じ原爆被害が遺伝したのではないかと心配した。

24日午後、慶尚南道陜川郡陜川邑(キョンサンナムド・ハプチョングン・ハプチョンウプ)の総合社会福祉館3階。韓国原爆被害者協会陜川支部の事務所に入るとすぐ片側の壁に額縁に入れられた10枚ほどの写真が見えた。1945年の広島に投下された原爆の被害者の姿だ。ある写真は炭のように黒くこげた男性だが、口には吸っていたたばこがそのままくわえられている。両腕にやけどを負い顔に斑点が出ている写真もあった。

シム・ジンテ支部長(75)は「私が幼かった時には陜川市場に行けばあの写真の姿の原爆被害者を簡単に見ることができた」と話した。

陜川原爆被害者はほとんどが広島に強制徴用されて行った人たちだ。原爆が投下され、ようやく集めた財産をすべて失いどうにか命だけは助かり故郷に戻った。しかし歓迎する人はいなかった。原爆被害者福祉会館に住むキム・ドシクさん(81)さんは「やけどを負いみすぼらしい姿で市場で物乞いをしたので当時の人たちは私たちを『帰還同胞』ではなく『憂患同胞』と呼んだ」と話した。


原爆が投下されてからすでに71年が過ぎたが傷はまだ癒えていなかった。原爆第1世代は自身の病名も知らずに亡くなった。2月基準で原爆1世の生存者は全国に2570人だ。このうち陜川に最も多い625人が暮らす。原爆投下当時広島に居住していた韓国人の60~70%が陜川出身のため被害者が多い。陜川が「韓国の広島」と呼ばれる理由だ。

1996年に韓日両国政府の支援で原爆被害者に寝食を提供する「原爆被害者福祉会館」が陜川にできたのもこうした背景のためだ。定員110人の会館には現在103人が暮らしている。福祉会館の裏には原爆被害者1055人の位牌を祀った慰霊閣がある。



親譲りの原爆の苦痛にも…被害者認定受けられない7600人=韓国(2)

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