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<チャイナインサイト>中国企業がだましているのか、韓国企業がだましているのか(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
最近、中国の友人から不平をよく聞く。韓国の商人にだまされたということだ。その反対の声も多い。中国の商人にやられて怒りが爆発するという。韓国企業の中国駐在員として20年間勤務し、中国人と数多くの交渉をした経験がある筆者が見るに「だます」には2種類ある。一つはどこにでもある詐欺師の詐欺行為だ。もう一つは異文化に対する理解不足が「だまされた」につながるケースだ。どうすれば中国でだまされないのだろうか。

「絶対的合理性のようなものは存在しない。自分の文化圏の合理性は他の文化圏の合理性とは違う」。オランダの心理学者ホフステッドの名言だ。これは、中国は隣国ではあるが、我々とは違う文化と基準を持っていることを気づかせる。中国のビジネス現場で、中国商人に意図はないものの我々が中国人特有の文化を正しく理解できず、結果的にはだまされるという状況を、どうすれば避けることができるだろうか。

含蓄と隠喩で綴られた中国人特有の話法、他人に無関心として映る中国人の実利主義、そして中国人が時には命よりも大切に考える体面重視思想、この3つを理解するだけでも、多くの場合「だまされた」という言葉は言わなくなるだろう。


まず中国人特有の話法を見てみよう。中国で韓国の会社を離れる現地の中国職員は静かに離れるケースが少ない。ほとんどの場合、会社または上司の約束不履行を理由にあげて「私をだました」と怒る。

韓国人の上司が「あなたは中国人だが、頑張って仕事をすれば給料も上がり社長になることができる」と「我々式」の一般的な激励をしたのを「約束」と受け止めることで生じる。逆に、中国人は言うべきことを言ったが、我々が理解できない場合も多い。中国人は「その弓を引き絞る方法を教えるだけで、 矢を放ちはしない」(引而不発)という中国式の話法をよく使う。特にこうした表現が故事成語などと交わればさらに難しくなる。米中首脳会談であったという話が伝説のように伝えられている。

中国最高指導者が「自分勝手に行動する」という話をしようとした。これを中国式に婉曲に「僧侶が傘を差す(和尚打傘)」と言った。すると相手は「髪もなく天もない(無髪無天)」と言葉を受けて「自分勝手だ」という意味で理解しなければいけない。なぜなら僧侶はもともと髪がないが、傘を差した(打傘)ため天も遮られた。すなわち天もない(無天)になるからだ。さらに髪と法は中国語の発音が同じだ。髪がない(無髪)は無法を意味する。したがって「僧侶が傘を差す」という言葉の対句は「法も天もない(無法無天)ならず者」にならなければいけない。当時、通訳がこのような中国式表現を知らなかったため、とんでもない対話になったという。

問題は重要な対話であるほど中国の含蓄的話法が増え、誤解の余地も増えるという点だ。したがって中国のビジネスで「だまされない」ためには、中国人の言葉よりも脈絡(context)をよく理解する必要がある。



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