「アルファ碁」との第2局で敗れた後、記者会見を行っている。李九段は「完ぺきな負けだった」と話した。
幼いころから碁を打ちながら育った。黒い砂利、壊れた貝殻で碁を打った。大学卒業後に大企業(東洋グループ)の広報室に勤めていたころ会社主催の世界棋戦に関わって、当時韓国棋院があったソウル貫鉄洞(クァンチョルドン)でお酒も多少飲んだ。普段から尊敬している李世ドル(イ・セドル)師範が人工知能(AI)コンピューターと実力を争うという話を初めて聞いた時、李師範の5対0のストレート勝利を疑わなかった。今まで新しい囲碁プログラムが開発されるたびに見ていたが、いつも失望していたからだ。機械の実力は常にうわさより思わしくなかった。
囲碁は単純なゲームではない。書芸(書道)のように、ある道を目指す。私たちがよく分からない幽玄な世界、隠れた真理がその中にあるという漠然とした畏敬の念を抱いてきた。相手の呼吸と表情の変化、汗、匂い…。ささいなことが勝負に微妙な影響を及ぼす囲碁は、不完全な人間のやるせない精神芸術でもある。妙手はもちろんミスまでもやりとりして無我状況の状態に陥った2人の対局者は、結局は後世に久しく残る名局を共につくり出すパートナー関係を形成する。
ただ勝つことが目的である冷たい機械の前で、囲碁のそのような美徳はそれこそ形骸だけを残しておさまるほかはない。それで一層コンピューターの認知・学習能力がいくら優れるとしても人間最高の棋士にとっては何でもないことだと思っていた。むしろ行き過ぎたプレッシャーが毒として作用して李師範に不利ではないだろうかと心配になった。
昨日・今日、アルファ碁が見せた囲碁は人間が経験したことのない世界だった。李師範は人間を代表して未知の世界と遭遇した。尊敬していた高段者が無惨に敗北する姿を見て、まるで私の尊敬心が無視されたような感じだった。
だが高段者をコンピューターが破ったからといってコンピューターを尊敬することはできない。産業革命当時のラッダイト(機械破壊)運動を思い出すほど複雑で息苦しい。人間の生は短く、能力には限界がある。それでも、その限界を絶えず反省しながら世の中を生きることもできない。
囲碁の格言の中に「盤前無人」というものがある。碁盤の前で、相手がいないように超然としてこそうまく置けるという意味だ。李師範は技術の発展で実際に「盤前無人」の状況に置かれた。くぼみを踏んでしまう感じ、残酷なほど孤独だったのだ。
だが私は李師範を信じる。機械も進歩するが、人も環境に適応する動物だ。アルファ碁に慣れた李師範が、残る3局では違う姿を見せるだろうと確信している。私の展望は何かというと、3-2、逆転勝ちだ。
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