『北鮮のヒツジは語る』の場面。(写真=映像資料院)
ロシアから持ってきた映像は『北鮮のヒツジは語る』(1934)と、題名不詳の黄海道(ファンヘド)畜産共進会の映像(1924)。それぞれ35ミリプリントの複写本を入手した。日帝の宣伝記録映像の『北鮮のヒツジは語る』は、北朝鮮の雄基〔ウンギ、現在の先鋒(ソンボン)港〕経由で豪州産のヒツジを輸入して咸鏡道慶源(ハムギョンド・ギョンウォン)の東拓(トンチョク)牧場に輸送し、飼育する過程が入っていた。
日本が主な輸出品だった綿・毛製品の反物生産のために朝鮮北部ではヒツジを飼育し、南部では綿花を栽培していた「南綿北洋政策」の断面を見せており資料的価値が高い。黄海道畜産共進会の映像には黄海道沙里院(サリウォン)で畜産物を集めて品評している行事の場面が出てくる。
ドイツで入手した映像は、1925年に聖ベネディクト会のノルベルト・ウェーバー神父が撮影したものだ。布教のため韓国に来たウェーバー神父がソウル・元山(ウォンサン)・満州・金剛山(クムガンサン)などを旅行しながら韓国の文化や風習を記録した。長編『静かな朝の国で』(1927)や『韓国の結婚式』(1927)など4本の短編だ。
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