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【コラム】米国を扱う朴正熙のチップと朴槿恵のチップ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
核兵器を作るなと制裁する。人権も改善するよう首をしめる。そして何気なく「体制崩壊」シナリオを流す。米国の北朝鮮対応方式だ。しかし1970年代には韓国がこういう形で米国にやられた。79年夏にソウルに来たジミー・カーター大統領は朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領の目の前に「金大中(キム・デジュン)…」で始まる在野の人名簿を突きつけた。「あなたが不当に監禁した政治犯です。直ちに釈放してください」。主権国家の元首にとってこれ以上の屈辱があるだろうか。

朴正熙の執権18年は米国との凄まじい生存ゲームの連続だった。朴正熙は5.16軍事クーデターを起こしてから6カ月後にジョン・F・ケネディを訪ね、ベトナム派兵を自主的に提案した。左翼経歴を疑う米国を心を引くための手段だった。ベトナム戦争が本格化すると、朴正熙は約束通り30万人の将兵を送り、5000人以上の血を捧げた。米国の開いた口がふさがらなかった。おかげで朴正熙の60年代は順調だった。

しかし維新独裁に入った70年代、状況は変わった。ベトナム戦争が終わり、韓国の支援を必要としなくなった米国は「人権」という鞭を持ち出した。朴東宣(パク・ ドンソン)のロビー活動を「コリアゲート」に膨らませ、朴正熙を追い込んだ。米国の高官らはパーティーで韓国の外交官に会えば冷遇しろという厳命を受けた。さらに大きな衝撃は在韓米軍撤収宣言だ。朴正熙には「あなたが退かなければ我々が出ていく」という脅迫に聞こえたはずだ。


政権崩壊の恐怖の中、朴正熙はフランスから導入した技術で核兵器の開発を試みた。78年には射程距離180キロの誘導弾「白熊」の試験発射にも成功した。米国には核実験と長距離ミサイル発射をする北朝鮮と同じように見えたはずだ。カーターが「さらに踏み込めば同盟は終わる」と警告してソウルを離れてから4カ月後、朴正熙は金載圭(キム・ジェギュ)の銃弾で絶命した。

こうした状況をそのまま眺めたのが朴槿恵(パク・クネ)大統領だ。国益のためには友人も容赦なく捨てる米国の冷酷さが骨身にしみた珍しい指導者だ。日本も豪州も行けなかった中国の戦勝節に朴大統領だけが唯一出席したのも、こうした体験から生じるリアリズム米国観が作用したはずだ。彼女の血には親米でも反米でもない米国利用が流れる。国民的な同意なく「北東アジアの均衡者(バランサー)」外交を試みて滅びた盧武鉉(ノ・ムヒョン)と違い、朴大統領の均衡外交は順調に進んでいる。国民の支持が高いうえ、悪化した朝中関係のおかげだ。



【コラム】米国を扱う朴正熙のチップと朴槿恵のチップ(2)

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