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【グローバルアイ】再び中曽根を振り返る

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
中曽根康弘・元日本首相(97)は異質な自民党指導者だった。1982~87年在任中、戦後総決算を掲げてさまざまなタブーを打ち破っていった。85年8月15日靖国神社を公式参拝した。歴代首相としては初めてだった。内政では「小さな政府」を強力に推し進めた。行政・財政改革とあわせて鉄道・電信・たばこの民営化を進めた。自民党の票田を耕し返したも同然だった。中曽根は自民党少数派閥の出身だ。政権発足当時、党と内閣の核心である幹事長と官房長官は田中角栄派だった。田中曽根内閣だという声もあった。

外政には軽武装、経済優先の吉田路線に反旗を翻した。自民党保守本流に対する挑戦だった。中曽根は86年、防衛費の国民総生産(GNP)1%内という枠組みを初めて破った。日米運命共同体論を展開することもした。日本列島をソ連の侵攻に対抗する不沈空母と言った。それでも中曽根が米国一辺倒だったわけではない。アジアも重視した。首相就任直後である83年1月、韓国にまず立ち寄り、その6日後に訪米した。その翌月には中国に特使を派遣し、国会で日本の侵略戦争を認めた。これもまた歴代首相では初めてだ。彼は日中戦争に対して「国際的にも侵略行為と判定されている。われわれはそれを受け入れる」と答えた。靖国は中国が反発すると再び参拝しなかった。

中曽根の外交4原則は普遍的に示唆する点を与える。国力以上の対外活動をしてはならない、外交はギャンブルであってはならない、内政と外交を混交してはならない、世界史の正統的潮流を外れてはならないと言った。現実主義外交の一つの典型ではないかと思う。中曽根が戦後70年にあたり、日本メディアに寄稿文を出した。彼がよく使う歴史法廷の被告として省察を入れた。


要諦はこうだ。「アジア戦争はやるべからざる戦争であり、誤った戦争だった。民族が負った傷は3世代100年は消えぬものと考えなければならない。歴史を正視し得ない民族に、政治の長期安定性もなく他の民族からの信頼も尊敬もあり得ない。日本は米英と同じ“海洋国家”であり、交易・海洋の自由を政策の中心に据えてきた。同じ価値観や政策を持つ米国との提携は必必然である。同時に、日本はアジアの一員であり、アジアとの友好協力関係なくしては存立し得ない」。それとあわせて「未来が歴史から学んだ反省とこれによる進歩だとするなら、われわれは再び繰り返してはいけない過ちに対する自省と共に新たな時代を切り拓いていく理想を持って前進していかなくてはならない」とした。中曽根はこれが戦後70年の観点といった。

戦後体制からの脱皮を掲げた安倍晋三首相の談話からはこのような響きがない。日本のアジアに対する優越意識まで見え隠れする。安倍談話は日本の歴史認識の後退だ。同時に自民党保守政治の矮小化を象徴する。韓国外交は相当期間、日本のこのような気流を相手にすることになるかもしれない。国民感情に便乗しろという話ではない。こうした時だからこそ、手を差し出せる逆発想が必要だ。韓日関係は非常に長い間、歴史に押さえつけられてきた。

オ・ヨンファン東京総局長



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