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【コラム】地雷挑発を乗り越えた朴槿恵(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
非武装地帯で北朝鮮が埋設した地雷を踏み、若い兵士2人が足を切断したことを聞き、言葉を失った。小型地雷は雨が降れば流され、足首を狙う。非武装地帯を捜索していた軍服務時代、我々は敵よりも地雷を恐れた。地球上で単位面積あたりの地雷の数が最も多いところが非武装地帯だ。ここでは完全武装した若者が昼夜を問わずお互い銃口を向け合う。非武装はただの希望事項にすぎず、重武装地帯と呼ぶのが正しい。そうしてこそ70年の分断体制にふさわしい怒りも表示できる。

朴槿恵(パク・クネ)大統領にも北の地雷挑発は悪材料だった。8・15演説に合わせて準備した前向きな対北朝鮮提案は青瓦台(チョンワデ、大統領府)の倉庫に押し込まれた。しかし朴大統領は柔軟性を発揮して状況を反転させた。「北の挑発には断固対処していくが、同時にこういうことが発生せず平和を構築できるよう、あらゆる努力をしていく」と述べた。確実な安保と平和の構築という2トラック路線で相手の敵意を一気に制圧した。世論の憤怒指数に屈服しない勇気ある発言だった。

43年前の1972年に言及したのも意味深長だ。朴大統領は「当時、南北間の対立と葛藤の溝は今よりはるかに深く、韓半島(朝鮮半島)の緊張も非常に高かった」とし「しかし少しでも平和な韓半島を作ろうという意志があったため、南北は勇気を出して向き合って座った」と述べた。実際、当時の南北関係は最悪だった。68年に北朝鮮は金新朝(キム・シンジョ)を含む31人の武装共産軍を送り込み、朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領を暗殺しようとした。そのような勢力と対話した父の決断に言及したのは、平和構築と対話の努力をあきらめないという悲壮な宣言だ。南北が自主・平和・民族大団結の3大原則が盛り込まれた共同声明を発表したのは同年7月4日であり、この日は米国の独立記念日だった。ドン・オーバードーファーは著書『二つのコリア』で「米国から独立するという意志を確実に示すためのようだ」と南北の日程選択理由を分析した。


南北の指導者は首脳会談を念頭に置いて意思を打診してきた。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は昨年の「新年の辞」で祖父・金日成(キム・イルソン)が南北首脳会談を控えて死去する直前に残した「生涯最後の親筆」に言及した。首脳会談に対する意欲が見えた。数日後、朴大統領は新年の記者会見で「北の指導者といつでも会うことができる」と応えた。昨年10月4日、仁川(インチョン)アジア競技大会当時、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)総政治局長と崔竜海(チェ・ヨンヘ)、金養建(キム・ヤンゴン)の北の幹部3人のサプライズ訪南も普通の場面ではなかった。金正恩は今年の「新年の辞」で「雰囲気と環境が醸成されれば最高位級会談ができない理由はない」とし、首脳会談を取り上げた。朴大統領が地雷挑発という悪条件の中でも対話の余地を残したのは、こうした流れの中で把握する必要がある。



【コラム】地雷挑発を乗り越えた朴槿恵(2)

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