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日帝が略奪・破壊した文化財、その受難の記録(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

朝鮮総督府学務局古跡調査課嘱託だった小泉顕夫が1926年、慶州瑞鳳塚発掘中に出土した金冠を撮影した資料(上)。1918年に京畿道利川郷校付近の廃寺跡から日本に搬出され、大倉集古館に所蔵されている「利川五層石塔」。(写真=国外所在文化財財団)

古美術研究者が日帝強占期の韓国文化財の受難とその返還について論じる時、必ず参考にする冊子がある。美術史学者の黄寿永(ファン・スヨン)博士(1918-2011)が1973年に出した『日帝期文化財被害資料』だ。黄博士は1950年代末から8年間、韓日会談の文化財返還分野専門委員として活動し、さまざまな記録と文献を集め、66年の会談妥結の結果に満足できず、後代に役立つ資料集を残した。手書きのメモの束形式を謄写板で200部刷り、定期刊行物『考古美術』の付録として配布したため、重要な内容であるにもかかわらず一般読者の手には渡らなかった。

この歴史的な資料集が42年ぶりに出版物として登場した。国外所在文化財財団が国立中央博物館および日本の「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」(以下、連絡会議)と手を握り、増補版を出したのだ。原本体制に基づきながらも引用文献の前後内容を幅広く翻訳し、関連遺物の図版と解題を追加し、日本が韓国文化財全般にどれほど大きな被害をもたらしたかをそのまま証言している。

「現在、楽浪付近では真昼に古墳を発掘するが、聞いたところによると、軍駐在所が許可したと言いながら(…)毎日古物商に売るというので、あまりにも残酷でならない」(102ページ)


「巧妙な手段で盗掘した者が過去8年間だけでも約100基に近い古墳を掘ったと想像できる。(…)この破壊に代わる学術的な成果を出すことができなければ、その罪を補償し、新しく建設するのも不可能であり(…)出版物を伴わない遺跡の発掘は(…)一つの罪悪だ」(87ページ)

10枚190項目にわたり一つ一つ告発された遺物破壊と搬出の実情は情けないほどだ。朝鮮総督府と研究機関、個人の手で盗掘された数多くの事例は、黄博士の表現のように「あくどい略奪は人類史上に類例がない」ほどだ。

粱山夫婦塚の出土遺物は「朝鮮古跡研究会」により東京国立博物館に寄贈され、今日まで堂々と所蔵されている。金海会ヒョン里の貝塚と平壌(ピョンヤン)石岩里205号墳は発掘された後、報告書作業という形で日本に遺物を運んだ後、戻らなかった。



日帝が略奪・破壊した文化財、その受難の記録(2)

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