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上海証券市場、劇薬処方でも急落…1989年の韓国のデジャブ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
果てなく上がると思われた株価がピークに達し下落し始めた。投資家の怨声が大きくなり、政府は株価防御のために証券市場に介入した。効き目が薄く非常識的な劇薬処方が続いた。株価はしばらく反騰すると下側に方向を定め暴落した。自殺を選んだ個人投資家が続出し政府の信頼は地に落ちた。現在の中国証券市場の状況だ。ところでどこかで見たような場面だ。それが韓国の証券市場だ。1980年代末から90年代初めまで韓国の証券市場でも同じ状況が広がった。中国証券市場をめぐり「過去の韓国証券市場のコピー版」という評価が出てくる理由だ。

KOSPI指数は84年の「3低好況」に後押しされ急上昇し始めた。100をやっと超えた指数は5年後の89年4月1日には1007まで上昇した。天井に到達した指数が徐々に下落し840まで下がると政府が乗り出した。89年12月12日に発表された「12・12措置」または「証券版12・12事態」と呼ばれる証券市場浮揚対策の核心は国の資金を無制限に放出して株式を買い取ることだった。

当時財務部は「韓国銀行の発券力を動員して株式を無制限に買い取る」と宣言した。3社の投資信託会社は当時の株式時価総額95兆ウォンの2.8%に相当する2兆7000億ウォンを都市銀行から借り入れ株式を手当たり次第に買い取った。指数は100ポイントほど瞬間的に上昇したが、すぐ真っ逆さまに落ちた。4兆ウォン規模の「証券市場安定基金」も追加で投入されたが方向は変えられなかった。


KOSPI指数は92年8月に456まで下落した。少なくない個人投資家が自殺という極端な方法を選択した。3社の投信会社は破産し7兆ウォンの公的資金が投入された。物価は急騰し、不動産投機が再燃した。90年10月10日明け方に電撃的に断行された担保維持比率100%未満の口座整理で政府に対する不信は頂点に達した。



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