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【BOOK】 「亡国敗北者」か「抗日愛国者」か…英国の学者がみた「風雲児」蒋介石

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

『蒋介石評伝』

1943年11月、エジプトで開かれたカイロ会談に出席した中国の蒋介石総統、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相(左から)。(写真=民音社)

『蒋介石評伝』

ジョナサン・フェンビー著 ノ・マンス訳、

出版:民音社、734ページ


価格:3万8000ウォン(約4000円)

清の最後の皇帝・溥儀が退位した後、中華人民共和国の“新皇帝”毛沢東が登場するまで、中国の歴史の真ん中を疾走した人物がいる。1887年10月31日に浙江省で塩商人の息子として生まれた蒋介石が主人公だ。祖父は彼に縁起が良い始まりという意味で瑞元という名前をつけたが、母は彼を公明正大な正義という意味の中正と呼ぶのを好んだ。

孫文の後継者として蒋介石は孫文の死後、国民党を掌握して中国統一に乗り出した。自分の名前のように大陸に公明正大な正義を実現するという野望に燃えた。このため彼は外側では日帝と、内側では共産党と戦った。その時、蒋介石が採択した戦略が「安内攘外」だ。外側の敵を退ける(壌外)前に国内の敵から平定する(安内)ということだ。しかしこの方針は1936年12月、蒋介石が西安で部下の張学良に拉致され、国民党と共産党の国共合作による抗日闘争を強要されたことで崩れてしまう。この本は、蒋介石の運命のほか、中国の命運、さらに世界の歴史まで変えてしまう西安事変から展開される。

この時に起死回生した毛沢東が、13年後、蒋介石を大陸からわずか160キロ離れた台湾に追い出し、大陸の覇権を握ったことで、蒋介石は歴史の裏へと消えた。「暴悪な独裁者」「能力のない行政家」「経済門外漢」など、いくつかの否定的な修飾語が伴った。しかし蒋介石を最も苦しめたのは「中国を失った敗北者」という言葉だったはずだ。

英国の東アジア専門家でありジャーナリストの著者ジョナサン・フェンビーは、その蒋介石に対して公正かつ客観的な評価を試みている。蒋介石の日記と世界各地の研究結果、そしてマスコミ出身者であるだけに当代の報道はもちろん、徹底的な現場取材などを通じて、強大な中国建設のために生涯をかけた蒋介石の人生を躍動的に描いている。

蒋介石と毛沢東を比較した部分は興味深い。2人とも根気強く残忍で野心に満ちていて、父に対する敵対感と母に対する限りない愛情を抱いて生きた。2人とも党と国家、軍隊を自分の統治下に置き、目標追求のための人命犠牲は意に介さなかった。ともに親の強要で若い年齢で結婚し、妻を捨てて政治的な野望からはるかに若い女性と再婚した点、故郷の言葉も改めない点も同じだ。お金には関心がなかったが、権力は2人の唯一の夢であり野望だった。

蒋介石に対する再評価は最近、中国でも出てきている。過去には毛沢東により「独裁と内戦、売国の三位一体」と非難された蒋介石が「抗日愛国者」「中国統一の先見者」として復権している。蒋介石の業績には北伐と抗日戦争主導、そして「一つの中国」原則などが挙げられる。抗日で正統性を見いだそうとし、台湾が中国から離れていくことを心配する中国共産党の内心が作用しているのは言うまでもない。



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