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【BOOK】朝鮮はなぜ倭軍に踏みにじられたのか、血で書いた反省文(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

国立現代美術館に所蔵された柳成竜の肖像画。チェ・グァンス(1932~90)の作品だ。柳成竜は壬辰倭乱が終わった後に退位して慶尚北道安東の河回村に都落ちし、戦乱の全貌を盛り込んだ『懲ビ録』を書いた。

1593年1月下旬のある日、柳成竜(リュ・ソンリョン)は開城(ケソン)にいた明の提督李如松の軍営でひざまずかなければならなかった。李如松は「明軍に兵糧を適時に補給しなかった罪を問い軍法を執行する」と怒鳴りつけた。柳成竜は頭を下げて涙を流すだけだった。一国の宰相がなぜこうした侮辱と恥辱を味わわなければならなかったのだろうか。

このことが起きる何日か前に李如松は坡州(パジュ)の碧蹄館(ピョクチェグァン)の戦いで日本軍に惨敗した後開城に逃げてきた。そして「もう日本軍とこれ以上戦わず交渉を通じて戦争を終わらせる」と宣言する。明軍だけを信じていた朝鮮は衝撃に陥った。

柳成竜は連日李如松を訪ね、「早く明軍を進撃させ日本軍を国外に追い出してほしい」と訴える。だが、李如松は「戦うならお前たちが直接戦え」と拒否する。それでも柳成竜が催促を止めないので兵糧を言い訳に軍法執行を云々しひざまずかせる侮辱を与えたのだ。


『懲ビ録(チンビロク)』はこのようにひざまずくことまで耐えなければならなかった弱小国の宰相柳成竜(1542~1607)が残した記録だ。「懲ビ」とは「自分の過去を懲戒し後に憂いがないか慎む」という『詩経』の文句から取ったものだ。領議政であり都体察使として7年間の壬辰倭乱を体験し感じた反省と悔恨、再びこうした兵乱が起きることを防ぐのに必要な対策と心がけを記録した回顧録であり備忘録だ。

17世紀初期に刊行された『懲ビ録』が現在まで人口に膾炙し光を放つ理由は何か。何より一国の指導者として柳成竜が見せた率直な告白と痛烈な自己反省のためだ。柳成竜は『懲ビ録』の序文で「私のように不肖な人が、国が乱れている時に重大な責任を引き受け危険な時局を正すことができなかったためその罪は許されることはできない」と身を低くする。それとともに自身をはじめとする朝鮮指導層の過ちと無能を事実通りに叙述する。

『懲ビ録』には実際に日本軍との戦いで勝った記録よりは敗れた記録の内容が詳細に記されている。だれが間違い、何が不足して敗れたかを具体的に記録することにより同じ過ちを繰り返すのはやめようという衷情だった。



【BOOK】朝鮮はなぜ倭軍に踏みにじられた첂か、血で書いた反省文(2)

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