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【コラム】私はシャルリーではなくケンジだ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
日本のフリーランサージャーナリストの後藤健二氏(47)が結局、命を失った。彼に罪があるのなら、危険の中で紛争地域の惨状を読者と視聴者に伝えようとした罪しかない。安全なところで楽な椅子に座って筆を動かしている私は、彼の死の前でみすぼらしく恥ずかしい。罪のない者を人質として拘束し、命まで奪う極端なテロリストの蛮行に怒りを禁じえない。最後の瞬間まで彼はジャーナリストとして、ヒューマニストとして最善を尽くした。「私はケンジ」。彼の冥福を祈る。

先月パリで発生した風刺専門週刊紙シャルリー・エブドへのテロ事件に対抗し、多くの人々が「私はシャルリー(Je suis Charlie)」を叫んだ。漫評が気に入らないとして報道機関を攻撃し、記者と警察の命を奪ったのは、民主主義の根幹である言論と表現の自由に対する正面からの挑戦だ。寛容(トレランス)というフランス的な価値の重大な毀損として受け止めたフランス人も多かったはずだ。フランス史上最多となる350万人が街に出て、パリだけで150万人が集まった。1998年ワールドカップ(W杯)大会でフランスが優勝した時も、これほどの規模ではなかった。

フランス国会では第1次世界大戦が終わった1918年以来97年ぶりにフランスの国歌が響いた。シャルリー・エブドのテロ犠牲者追悼式に出席した国会議員と閣僚が愛国歌を斉唱したのだ。その瞬間だけは与党と野党、左派と右派もなかった。全体が一つになった。フランス第5共和国史上、最も人気がなかったフランソワ・オランド大統領の支持率はテロ事件後に垂直上昇した。10%台後半で推移していた支持率がなんと40%まで上がった。国家的な危機の瞬間、大統領に期待される求心点の役割をしたと見たからだろう。パリに約150万人が集まった日、彼は全世界から集まった約40人の各国指導者と腕を組んで歩き、連帯を誇示した。


追悼と団結の時間が過ぎると、省察の時間がきた。マスコミの報道を理由にテロ行為をするのは絶対に容認できない蛮行だが、言論と表現の自由を口実にイスラムの創始者マホメットを嘲弄して侮辱するのが果たして正しいのかという自省の声が出始めた。自由には責任が伴うという陳腐な命題ではなくとも、シャルリー・エブドがあたかも自由の限界を試すような「自由原理主義」的な態度を見せたのが、果たして穏当だったのかという問題の提起だ。言論の自由は真実を明らかにするためにあり、乱用するためではなく、宗教家の特定の行動を批判するのと宗教自体を非難して嘲弄するのは違うという反論も出てきた。敵意がある風刺は風刺でなく非難という指摘もあった。こうした批判と自省が集まり「私はシャルリーではない」という声も出てきた。もちろんシャルリー・エブドの漫評が気に入らなければ見なければよい。例外と聖域を認め始めれば、表現の自由は委縮するしかないという反論も少なくない。それでも個人的に私は「シャルリーではない」に一票を入れる。しかし依然として私はケンジだ。



【コラム】私はシャルリーではなくケンジだ(2)

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