朴大統領には、「尾生之信」の故事がついて回る。昔、魯の国の尾生という者が橋の下で恋人に会う約束をして、豪雨で川の水があふれてもそこから離れずに溺死したというエピソードだ。2010年李明博(イ・ミョンバク)政権が出した世宗(セジョン)市修正案に彼女が反発すると鄭夢準(チョン・モンジュン)党代表がとがめて引用した故事だ。すると彼女は「尾生は死んだが手本になったし、恋人は一生辛い思いをして生きた」と言ってはね返した。そんな朴大統領が、慰安婦強制動員を否定する安倍晋三首相との首脳会談に出るわけがない。早急な首脳会談を促した専門家たちも、今は「安倍首相がレッドラインを超えて水の泡になった」とため息をつく。
こうした行き詰まった状況の中で、それでも幸いなことは代案があるということだ。韓日関係が悪いのは今回だけではない。10年前も似たようなものだった。発端は独島(ドクト、日本名・竹島)だった。2005年2月に島根県が「竹島の日」を制定すると反日感情に火がついた。盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と小泉純一郎首相は破裂音を出しながら正面衝突する。歴代最高の個性派指導者に挙げられる2人だ。行き来する言葉は荒々しく行動は意固地になっていた。
【コラム】韓日関係、民間交流が重要だ(2)